皇大神宮(伊勢神宮内宮)

皇大神宮(伊勢神宮内宮) 皇祖神「天照大御神」を祭神とする神社本庁本宗
伊勢神宮の内宮

概要

神社本庁の本宗。 皇祖神「天照大御神」を主祭神とする日本人の総氏神。 
外宮とともに2つの本宮のうちのひとつ 豊受大神宮(外宮) http://power-spots.news/syokai/isegekuu
伊勢神宮の内宮神楽殿

基本情報

◆所在地 三重県伊勢市宇治館町1
◆公式ホームページ http://www.isejingu.or.jp/
◆社格等
式内社(大)
二十二社(上七社)
神宮(近代社格超越-対象外)
◆創建 垂仁天皇26年
◆札所等  神仏霊場巡拝の道特別参拝

祭神

主祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
三種の神器の1つ八咫鏡を神体とする。

相殿神
天手力男神 (あめのたぢからおのかみ) 岩戸隠れの際に岩をこじあけた怪力神
左方に祀る。弓を神体とする。

万幡豊秋津姫命 (よろづはたとよあきつひめのみこと) 天孫 ニニギの母
右方に祀る。剣を神体とする。

鎮座地を探す旅八咫鏡(天照大御神)は、宮中に祀られていたが、 崇神天皇6年、笠縫邑に移して以来、豊鍬入姫命・倭姫命と引き継ぎ、鎮座地を求めて長い旅に出た。 その途中に一時的に鎮座した場所は元伊勢と呼ばれる。
垂仁天皇26年、伊勢国にたどり着いたとき、「この国に留まりたい」という天照大御神の神託があり、倭姫命は五十鈴川上流の現在地に祠を建てて祀り、磯宮と称したのが皇大神宮の始まり。

エピソード

神宮大麻

日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。

外宮先祭

複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事は外宮、内宮の順で行う。
参拝も外宮、内宮の順で行うのが正しいといわれる。
式年遷宮の遷御は皇大神宮、豊受大神宮の順であり、奉幣(ほうへい)は豊受大神宮、皇大神宮の順である。

僧侶の近接禁止

明治時代までは、僧侶の姿で正宮に接近することは許されず、川の向こうに設けられた僧尼拝所から拝むこととされ、西行も僧尼拝所で神宮を拝み、感動の涙を流したという。

空襲とご神威

1945年(昭和20年)7月29日、宇治山田空襲により宇治山田市は甚大な被害を蒙った。
内宮にも40機ほどの編隊でアメリカ軍機が神域に迫り、次第に照準が正確になってきたが、内宮の神域に差し掛かったところで焼夷弾は五十鈴川対岸の山に吸い込まれるように流れていった。
この「奇跡」により内宮に被害はなく、神職は「ご神威」に涙したという。

祭主

荒木田氏が祠官を世襲していたが、明治以降は世襲制が廃止された。
第二次世界大戦後は元皇族の女性が代々の祭主をつとめている。

宇治橋

日本百名橋。
五十鈴川に直角に架けられている。
参道口にある。
長さ101.8m、幅8.42mの木造の和橋
内宮参拝時の記念撮影の名所
伊勢神宮の宇治橋

橋の両側の鳥居の高さは7.44m、直径は最も太い部分で約70cm、総重量は約5t
伊勢神宮の鳥居

外側(西)の鳥居
外宮正殿の古材で作られ、宇治橋鳥居の役を終えた後、
三重県桑名市桑名宿の七里の渡しで神宮遙拝用の鳥居として20年間使用される。

七里の渡しの一の鳥居
七里の渡しの一の鳥居

内側(東)の鳥居
内宮正殿の古材で作られ、宇治橋鳥居の役を終えた後、
鈴鹿峠の麓にある三重県亀山市関町関宿の関の東の追分で神宮遙拝用の鳥居として20年間使用される。

関宿の一の鳥居
関宿の一の鳥居

式年遷宮とのずれ
敗戦直後に昭和天皇の指示で第59回神宮式年遷宮は無期延期とされたが。宇治橋だけでも架け替えようと声が強く、宇治橋だけが当初の予定通り1949年(昭和24年)に架け替えられ以降
神宮式年遷宮の4年前に架け替えられるようになった。
4年前に架け替えるようになったので社殿の造営と期間がずれ、遷宮に必要な大工の数が減らせるようになるとともに、遷宮に対する参拝客の興味を長く引き止めることができるようになり、遷宮の資金面で役立っている。

饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)
宇治橋を守護する内宮所管社
宇治橋を守護する内宮所管社

分宮 10宮

1位 荒祭宮 (あらまつりのみや)

社格: 式内社(大)
鎮座地:内宮境内
創建:垂仁天皇26年10月
祭神: 天照大神の荒魂  神体は鏡
荒祭宮

2位 月讀宮 (つきよみのみや)

社格:式内社(大)
鎮座地:伊勢市中村町
祭神:ツクヨミ(アマテラス弟神)
下記3宮とともに神明造りの社殿が4つ並ぶ姿は壮観
月読宮

月讀荒御魂宮 (つきよみあらみたまのみや)
社格:式内社
鎮座地:月讀宮境内
祭神:ツクヨミの荒魂

伊佐奈岐宮 (いざなぎのみや)
社格:式内社(大)
鎮座地:月讀宮境内
祭神:イザナギ

伊佐奈弥宮 (いざなみのみや)
社格:式内社(大)
鎮座地:月讀宮境内
祭神:イザナミ(アマテラス母神)

3位  瀧原宮 (たきはらのみや)

社格:式内社(大)
鎮座地:度会郡大紀町
祭神: 天照大御神御魂
元伊勢
瀧原宮

瀧原竝宮 (たきはらならびのみや)
鎮座地:瀧原宮境内
祭神:天照大御神荒魂

4位 伊雑宮 (いざわのみや)

社格:式内社論社
鎮座地:志摩市磯部町上之郷
祭神:天照大御神御魂

伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外のものは伊雑宮(志摩国)のみ。
神田を持つ唯一の別宮 御田植式は、香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とされる。
江戸時代には伊雑宮の神職が中心となり伊雑宮を本来の内宮とする偽書を作成し、先代旧事本紀大成経事件の舞台となる。
伊雑宮

風日祈宮 (かざひのみのみや)

鎮座地:内宮境内
祭神:  級長津彦命 級長戸辺命 風雨を司る神
元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。
風日祈宮

倭姫宮 (やまとひめのみや)

 
鎮座地:伊勢市楠部町
祭神:倭姫 鎮座地を当地に定めた。
別宮の中で、もっとも新しい1923年(大正12年)11月5日創建。
倭姫宮

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豊受大神宮(伊勢神宮外宮)

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)  食物神「豊受大御神」を祀る神宮本宮
外宮

概要

天照大神による「豊受大御神」を近くに呼び寄せるようにという神託により伊勢に遷宮されたことが起源と伝承され、内宮創建から500年後に、食物・穀物を司る神である豊受大御神がご鎮座された。
外宮、内宮の順でお参りするのが正しいとされる。 皇大神宮(内宮)http://power-spots.news/jinja/isenaikuu
外宮神楽殿resize0023

基本情報

◆所在地 三重県伊勢市豊川町279
◆公式ホームページ http://www.isejingu.or.jp/
◆社格等
式内社(大)
二十二社(上七社)
神宮(近代社格超越-対象外)
◆創建 雄略天皇22年
◆札所等  神仏霊場巡拝の道特別参拝

祭神

主祭神:豊受大御神 (とようけのおおみかみ)
食物・穀物を司る女神
後に、同じ食物神である稲荷神(倉稲魂命)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。
伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は、始源神である天之御中主神・国常立神と同神であり、内宮よりも立場が上であるとしている。

伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたとされている。

相殿神:御伴神(みとものかみ)三座
東に一座、西に二座を祀る。

御伴神三座が、天孫ニニギ・天児屋根命(あめのこやねのみこと)太玉命(フトダマ)の三座とする見解もあるが、豊受大御神 との関わりの少なさの不自然さが指摘される。

エピソード

創建

雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたことで、丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたとされている。

正宮

「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」という日本古来の建築様式を伝える。
 唯一神明造は檜の素木を用いて高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれている。
外宮

正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち)がある。
この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称する。
御敷地

清盛楠

伊勢神宮 外宮の表参道沿いに佇む大楠で、平清盛が勅使として参向したとき、木の枝が冠に触れたために、西側の枝を切らせたという言い伝えにより、この名で呼ばれている。
樹齢は1000年に近いといわれ、二本あるように見えるが実は一株の大木です。
清盛楠

勾玉池

外宮の外苑に位置し、南西面は美しい自然林、北側には庭園が整備されている。池を一周する遊歩道を早朝散歩するひとも多く、あずま屋や舞台も設けられ市中の公園として親しまれている。
池は勾玉 の形をしているので勾玉池と呼ばれており、6月には花菖蒲が花をつけ、秋にはここに常設してある舞台で観月会が催される。
勾玉池

パワースポット石

外宮にはパワースポットと言われる石が3箇所あります。

三つ石
参道の中央にしめ縄をした三つ石がある。
外宮石 三ツ石

地蔵石
多賀宮前の参道の隅にあります。
お地蔵さんの形に見えるため、寝地蔵さん、地蔵石などと呼ばれる。
外宮石 地蔵石

亀石
御池の中堤にかかるおおきな石の橋。亀の姿ににているから亀石と呼ばれる。
天岩戸と伝わる高倉山の入口にあった岩を運んだと伝えられる。
亀石 正解

別宮 4宮

境内別宮は、多賀宮・土宮・風宮の格順に参拝するのが古来の習わしとされる。

1位 多賀宮 (たかのみや) 

 
4宮のうち最古 『延喜式神名帳』に唯一記載

◆社格:式内社(大)
◆鎮座地:外宮境内
外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の山頂にある。正宮前の池の横の亀石を過ぎ、土宮と風宮の間にある石段を98段登る。
足腰が悪く丘の上に登れない者のために、麓の池のほとりに多賀宮遥拝所が設けられている。
◆祭神:豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)
多賀宮 拝殿

2位 月夜見宮 (つきよみのみや)

唯一の境外別宮
鎮座地:伊勢市宮後
祭神:月夜見尊(つきよみのみこと アマテラスの弟神)
   月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま 月夜見尊の荒ぶる神霊)
   2柱の神を同じ社殿に祀る。
※内宮別宮の月讀宮では、同神二神を祀っているが、別の社殿で祀っている
月夜見宮

 

3位 土宮 (つちのみや) 

多賀宮に次ぎ古い。
鎮座地:外宮境内 檜尾山(ひのきおやま)の麓  正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の右にある。
祭神: 大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)・・山田の原の地主の氏神
    土宮3座 (山田原地主の大歳神、宇迦魂神、土御祖神)※神体は大歳神と土御祖神が鏡、宇迦魂神が宝壺
出典:『神名秘書』(度会行忠 1285年(弘安8年)著) 
土の宮

4位 風宮 (かぜのみや)

元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。 *
鎮座地:外宮境内 檜尾山(ひのきおやま)の麓  正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左にある。
祭神: 級長津彦命と級長戸辺命(しなつひこのみこと、しなとべのみこと) 風雨を司る神
※内宮別宮の風日祈宮(かぜひのみのみや)も同神を祀る。
風の宮

*

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諏訪大社

御柱祭で有名な諏訪神社(約25,000社)の総本社
1280px-諏訪大社本宮拝殿

概要

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」等とも呼ばれる。
諏訪湖南岸・北岸に2宮ずつの4箇所の参拝地をもつ。
信濃国一宮。御柱祭が有名。国内にある最も古い神社の一つとされている。
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基本情報

◆所在地 長野県の諏訪湖周辺に4宮
◆公式ホームページ http://suwataisha.or.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
信濃国一宮
旧官幣大社
別表神社
◆創建 不詳
◆札所等 –

祭神

建御名方神 (たけみなかたのかみ)
上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主命の御子神として登場。
タケミカヅチと勇猛果敢に戦った。

八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
建御名方神の妃。

なお、本来の祭神は出雲系の建御名方ではなく諏訪地方の土着の神々であるという説もあり、神事や祭祀は今なおそのほとんどが土着信仰に関わるものであるとされる。

エピソード

創建

神話上(『古事記』)では、国譲りにおいて 
大国主の次男タケミナカタが、タケミカヅチとの戦いで諏訪まで敗走し、そこに国を築いたことが起源とされる。

これは神話であるが、諏訪において土着勢力の上に外部から支配層が現れ、新たな国づくりを進めたことを象徴しているとみられる。
諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており、原始日本においてもっとも繁栄していた地域のひとつであったことがわかる。

諏訪盆地
中心に諏訪湖。湖の左下(南東)に上社、右上(北)に下社が鎮座する。
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御柱

当社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ4本のモミの柱が建てられている。
下社秋宮・春宮では御柱先端の御幣が正面(裏面は曳行により削れている)を向いているが、上社本宮・前宮では諏訪大社奥宮のある八ヶ岳の方向を向いている。

諏訪地方では、大きい神社から小さい祠に至るまで、当社にならってこの御柱を設ける社が多い。
御柱の由来は明らかでなく古来より説があるが、今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説が検討の余地を残している。

諏訪大社の御柱は寅と申の年に建て替えられ(御柱祭)、全国の諏訪神社や関連社でも同様の祭(小宮祭)が行われる。

御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。

諏訪大社には本殿がない。(前宮を除く。)それが、社殿がなかったと言われる古代の神社の姿であり、古社であることを示している。
代りに、本宮は拝殿後背林(通称 御山)。秋宮は一位の木。春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝している。

前宮一之御柱
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小社にも設けられた御柱の例
(諏訪市 手長神社境内社)
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御柱祭

正式名称は、諏訪大社式年造営御柱大祭
寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に、樅を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。諏訪大社の最も重要な祭である。
御柱と同時に、宝殿の建て替えのため宝殿内の神器の遷座も行われる。
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軍神としての崇敬

古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられる。

鎌倉時代になると平家没官領として源頼朝に給付された。
源頼朝は神馬を奉納し、信濃御家人に諏訪大社への神役勤仕(しんやくごんじ)を徹底させ、大祝に従うべきことを命じている。
毎年恒例の五月会や上社南方の御射山で行われた御射山祭には鎌倉を始め甲斐・信濃など周辺の武士が参加した。
鎌倉幕府が禁止した鷹狩も諏訪大明神の「神御贄鷹」に限っては許可された。
鎌倉幕府と朝廷の庇護下、今日に見る諏訪信仰の全国への広まりが形成された。

武田信玄の崇敬は厚く、信玄は、諏訪を手に入れると当社の祭祀の再興を図った。
戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられる。

江戸幕府第3代将軍徳川家光によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵された。
また高島藩から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・保科正之から上社100石・下社50石が寄進された。

神仏習合

神仏習合により上社・下社に神宮寺が設けられて別当寺(神社を管理する寺)となり、上社は普賢菩薩・下社は千手観音が本地仏とされた。

各社概要

上社

上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。
本宮・前宮からなり、二宮は、本社・摂社という関係であった。
御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格を有している。
かつては本宮を主として上諏訪の中心地であった。

祭神
本宮:建御名方神 (たけみなかたのかみ)
前宮:八坂刀売神 (やさかとめのかみ)

本宮
本宮は、神体山「守屋山」北麓に鎮座する。
社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されている。
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前宮
前宮は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には水眼(すいが)川が流れる。
大祝の居館(神殿「ごうどの」)が設けられ、周辺は「神原(ごうばら)」と呼ばれた。
大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。
※大祝は神体と同視(= 現人神)されていた。
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水眼(すいが)の清流
Suwa_Taisha_Maemiya_Chozuya

祭事
蛙狩神事
元日の朝に上社本宮で行われる神事。まず御手洗川の川底を掘り返し、蛙を捕らえる。その後拝殿正面にて矢を以てこの蛙を射抜き、生贄として神前に捧げ、宮司が祝詞を捧げ国家平安と五穀豊饒を祈願する。蛙を供えるのは、諏訪大社の本来の祭神が、蛇神とされるソソウ神や、諏訪地方ではソソウ神と同一視されやはり蛇神とされたミシャグジ神であったとされ、蛇神に捧げる(蛇は蛙が好物)意味があるとされる。
2011年の神事直後から、地元の環境NGO団体から抗議をうけ、2013年には地元の環境NGO団体が撮影した動画と写真がネット上に掲載され、複数の動物愛護団体から動物虐待であるとして抗議を受けるようになり2015年に数々のメディアで報道される[32]。

御頭祭
4月15日に上社で行われる祭。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを「禽獣の高盛」と呼んだという内容が残っている。また諏訪大社七不思議の1つとして「耳裂鹿」というものがある。これは生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。

御射山祭 (みさやまさい)
上社の狩猟神事。中世には年4回八ヶ岳の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く5日間続いた。青萱の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」の名称もある。鎌倉時代に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。
またこの祭の起こりとして、南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では、
「平安時代初期、坂上田村麻呂が蝦夷征討のため信濃まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日(旧暦7月27日)になると討ち取られた高丸の怨霊が嵐を起こすといわれる」
という伝説を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。

下社

下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。
秋宮・春宮からなり、、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。
南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。
一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。

祭神
建御名方神 (たけみなかたのかみ)
八坂刀売神 (やさかとめのかみ) – 主祭神
八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) – 合祀。建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる。

秋宮
秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。
毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。
周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた。
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春宮
春宮(はるみや)は、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座する。西方には砥川が流れている。
毎年2月-7月に祭神が祀られている。境内は社殿3棟が国の重要文化財に指定されている。
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祭事
筒粥神事
1月14日の夜から1月15日の明け方にかけて下社春宮境内の筒粥殿にて行われる神事。葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事である。この占いの結果は地元メディアによって報道される。かつては上社でも行われていたが、現在の上社においては上社筒粥殿の遺構が境内に遺るのみである。

犬追物 (江戸時代中期まで)
旧暦7月1日、下社遷座祭で遷座の行列がお宮に到着すると、馬場で犬追物の神事が行われた。
江戸時代中期以降廃れる。

御舟祭 (おふねまつり)
下社の例大祭で、8月1日に催される。神体を舟(柴舟)に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。舟は南北朝時代に書かれた『諏訪大明神絵詞』には「鉾山」と書いてあり、江戸時代から「御舟」と呼ばれるようになったとされる。舟の上には翁、媼とみられる人形が乗せられる。
なお、2月1日に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。

戸隠神社

神話「岩戸開き」に功績のある祭神を祀る古社
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概要

霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社。
「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々を祀っている。
中世には、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほど修験道道場として名を知られた霊場だった。
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基本情報

◆所在地 長野県長野市戸隠3690
◆公式ホームページ http://www.togakushi-jinja.jp/
◆社格等 –
◆創建 –
◆札所等 –

祭神

各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は、天照大神天岩戸に隠れた「岩戸隠れ」において活躍した祭神を祀っている。

「岩戸隠れ」 弟神のスサノオの非行に嫌気が差したアマテラスが天岩戸に隠れてしまったために、世は暗黒になり、それを打破するために、神々が集まってアマテラスを外に出し、再び光を手に入れたという逸話

主祭神
奥社天手力雄命
天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。

相殿神
中社天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。

火之御子社天鈿女命(あめのうずめのみこと)
天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。舞楽や芸能、また火防の神とされる。
高皇産霊命(たかむすびのみこと)
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)高皇産霊命の娘
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)栲幡千々姫命の夫

宝光社:天表春命(あめのうわはるのみこと)天八意思兼命の子
学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。

九頭龍社:九頭龍大神。地主神として崇められている。
古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。

エピソード

創建

一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
また日本書紀の天武紀には684年三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせたとある。
そして書紀には持統天皇が691年に使者を遣わし、信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。

修験道場としての隆盛

平安時代後期以降、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られた。
修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。

善光寺との関係

当山(延暦寺山門派)の別当職であった栗田氏が鎌倉期以後は山麓の善光寺(園城寺寺門派)別当を世襲したこともあって両寺は関連を強め、参詣者は一度に両方を共に参詣することが多かった。
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天台・真言両宗の闘争

室町時代 当社にて天台・真言両宗の法論闘争が発生。
応仁2年(1468年)天台派の宣澄法師が真言派に暗殺された。
後世に至って宣澄の供養のため、宝永5年(1708年)に宣澄社が建立され、村人によって毎年8月16日の中社の例祭に「宣澄踊り」が奉納されるようになった。
現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であり、これと激しく抗争して約500年前に滅亡したとされる西光寺など真言系の寺院が存在していた事も知られている。

戦国争乱時の危機

戦国時代に当社のある北信濃地域は信濃侵攻を行う甲斐国の武田晴信(信玄)と北信豪族の後ろ盾となった越後国の上杉謙信との争乱に巻き込まれた。
別当である栗田氏が分裂するなど、両軍によって絶えず危機に晒された。
川中島の戦い当時は、多くの修験者と信仰者集団を抱えていた戸隠神社や飯綱神社は武田、上杉両軍の双方にとってぜひ味方につけたい存在であり、修験者は広く各地の情報に通じ多くの人々を牽引し戦況を占い、何より薬草の知識は従軍医師としての期待が大きかった。
このため善光寺や、戸隠、飯綱を味方にするか敵に回すかは極めて重要であったため、これらをめぐって戦火に巻き込まれ熾烈な戦闘が繰り返されていた。

修験道場から門前町へと変貌

江戸時代に入り徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。
同時に東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。

五社の構成

奥社(おくしゃ)
戸隠神社の御本社。祭神は天手力雄命。
全国に開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が広宣され多くの崇敬者が登拝される。
参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いている。
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随神門(補修・葺き替え前)
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中社(ちゅうしゃ)
現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に奥社の相殿として創建された。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
社殿天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた「龍の天井絵」がある。
また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、戸隠神社の社務所が置かれている。
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宝光社(ほうこうしゃ)
現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に奥社の相殿として創建されたものである。祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)
学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。麓から登ってきて最初にあり、うっそうとした杉木立の階段を上って参拝する。旧宝光院。
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火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く)
創建は天福元年(1233年)。祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。
他に高皇産霊命(たかむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。
創建以来、このお社だけは、神仏習合せず神社として終始していた。
舞楽芸能の神、縁結の神、火防の神として尊崇されている。
境内には樹齢500年を超える『結びの杉(二本杉)』と有名な西行桜がある。
火の御子社

九頭龍社(くずりゅうしゃ)
祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
九頭龍社

奥社および九頭龍社参道の杉並木
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富士山本宮浅間大社

富士信仰の中心「浅間神社」の総本社
富士山本宮浅間大社

概要

代表的な富士信仰である「浅間信仰」の中心施設である浅間神社(約1300社)の総本社。
富士山を神体山として祀る。
富士山南麓(本宮)と富士山頂上(奥宮)の2宮からなる。
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産。駿河国一宮。

奥宮
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基本情報

◆所在地
本宮:静岡県富士宮市宮町1-1
奥宮:富士山頂上
◆公式ホームページ http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/index.html
◆社格等
式内社(名神大)
駿河国一宮
旧官幣大社
別表神社
◆創建 (伝)第11代垂仁天皇3年
◆札所等 –

祭神

主祭神
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
別称を「浅間大神 (あさまのおおかみ)」とする。

配神
瓊々杵尊(ににぎのみこと) – 木花之佐久夜毘売命の夫神。
大山祇神(おおやまづみのかみ) – 木花之佐久夜毘売命の父神。

浅間信仰

代表的な富士信仰であり、富士山を御神体とする「浅間大神」を崇敬する信仰。
その中心施設が、1300社あると言われる浅間神社であり、その総本宮が当社である。

浅間信仰には、美しい山容に対する憧憬と火山としての富士に対する畏怖という側面がある。

「浅間大神」に神話上の「コノハナノサクヤヒメ」が、当てられるようになったのは近世になってからとされる。

ヒメの神話界一の美貌と富士の美しい山容
ヒメの火中出産の逸話と火山「富士」とを重ねたためと考えられる。

富士山のその美しい山容から女神と見る信仰は古くからあったという。

エピソード

創建

社伝『富士本宮浅間社記』によると、垂仁天皇3年には、富士山麓の山足の地にて祀られていたという。
ヤマトタケルは、浅間大神に祈念して難を逃れたので、山宮(現 山宮浅間神社)に磐境を設け浅間大神を祀ったという。
大同元年(806年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在の大宮の地に社殿を造営したと伝える。
実際の創建は富士山噴火を鎮めるために必然的に必要とされたものであり、富士山噴火の初見である(781年)から遷座するまで806年の間と考えられていまる。

山宮浅間神社
浅間大社の元宮。
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富士山の貞観大噴火と浅間信仰の広がり

貞観6年(864年)から貞観8年(866年)に多くの被害を出した富士山の貞観大噴火に対して、朝廷では占いにより噴火を浅間社の祭祀怠慢によるものとした。
その結果甲斐国でも浅間神を祭祀することとなり、結果的に浅間信仰は甲斐側にも広がり、甲斐国の浅間神社も同国では唯一の名神大社に列し、一宮となった。
駿河国府の近くには、浅間大社から勧請を受けて浅間神社(現 静岡浅間神社の一社)も創建された。
浅間神に対する崇敬の深さがうかがわれる。

静岡浅間神社
浅間大社から駿河国府に勧請された「新宮」。
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水神から火神への転換

本宮境内の北方に鎮座している富知神社は、元々、当社鎮座地を社地としていたが、浅間神が当地に移るにあたり遷座した。
富知神社は、湧玉池を祭祀場として富士山を水神の神格で祀っていたと見られている。
このことから浅間神の遷座は、富士信仰が水の神たる「フクチ・フジ」信仰から火の神たる「アサマ」信仰へ転換したことを表す象徴的な出来事だと解されている。

富知神社
浅間大社遷座以前より祀られていた地主神。
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公家や武家からの崇敬

中世から江戸時代の終わりまで、武家からは社領の寄進や修復が重ねて行われた。
そのため、境内は広大で、本宮社地で約17,000m2になるほか、富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有している。

以下にその代表的なものを記す。

後醍醐天皇の土地の寄進
源頼朝の社領の寄進(源頼朝が富士の巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことが浅間大社の流鏑馬の起源とされる。)
北条義時の社殿の造営

足利尊氏や足利直義による社領の寄進。
今川範氏や今川泰範らの土地の安堵や諸役の免除

武田信玄は願状を捧げた。
武田勝頼は天正4年から造営を進め天正6年(1578年)に遷宮を行った。
豊臣秀吉も社領寄進の朱印状を発布している。

徳川家康は867石の朱印地を安堵したほか、関ヶ原の戦いの戦勝を記念して現在の社殿を造営した。

江戸幕府の歴代将軍も祈祷料・修理料の寄進を行った。

慶長14年(1609年)には、富士山頂における散銭取得の優先権を得た。
(1779年には三奉行による裁許により富士山の8合目以上が浅間大社へ寄進された)
4代将軍徳川家綱は金1千両を寄進。
5代将軍徳川綱吉は銀50枚・金2千両、金700両を寄進。
10代将軍徳川家治は銀300枚を寄進。
その後も徳川家の歴代将軍による崇敬が絶たれることは無かった。

社殿

本宮の本殿は、関ヶ原の戦いの戦勝祈願が成就したことによる徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されている。
。宝永地震(宝永4年(1707年))や安政東海地震(嘉永7年11月4日(1854年))などで崩壊した建物もあり、現在は本殿・拝殿・楼門が現存している。
「浅間造」桁行5間・梁間4間・寄棟造の社殿の上に三間社流造の社殿が乗り、二重の楼閣造となる珍しい形式であり、屋根は檜皮葺。

本殿(国の重要文化財)
徳川家康の造営で「浅間造」と称される。
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拝殿(静岡県指定文化財)
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楼門(静岡県指定文化財)
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湧玉池

本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されている。
何層にも重なった溶岩の間から湧出しており、水源の岩上には朱塗りの水屋神社が鎮座している。

湧玉池(特別天然記念物)
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ご神木 桜

主祭神である木花之佐久夜毘売命の「木花」は桜の意味。
このことから桜を神木として境内には約500本もの桜樹が奉納されている。
拝殿の前には武田信玄の手植えと伝わる七本の桜が存在していたといい、現在、それらの二代目とされる「信玄桜」が境内に伝わる。

信玄桜(武田信玄公手植え枝垂桜2世)
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日本三大宮司

古来より富士氏が大宮司を務め、厳島神主家・熱田大宮司家(千秋氏)と共に「日本三大宮司」の1つに数えられ、古くより朝廷・武家からの崇敬が深かった。

修験道

社地が、大宮・村山口登山道の起点に位置することもあり、古くから登山を行う修験者からの崇敬も受けていた。

三嶋大社との関係

三島神(三嶋大社)の祭神を大山祇神と見て、富士と三島が父子とする伝説も江戸時代頃から散見されるようになる

大鳥居

1934年(昭和9年)6月15日 – 富士宮駅前に大鳥居を造営。
1981年(昭和56年)3月27日 – 岳南地域都市計画の名目で富士宮駅前の浅間大社の大鳥居を撤去。
2006年(平成18年)10月29日 – 御鎮座1200年祭を催行。開催にあわせ大鳥居を再建。

大鳥居と富士山
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