鹿島神宮の国宝「韴霊剣」に纏わる話

戦う男達の聖地である鹿島神宮には、国宝である刀剣が納められています。

日本最古・最大の直刀である通称「韴霊剣」は、神話中においても重要な位置を占める刀剣です。

国宝

直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ) (附 刀唐櫃)(工芸品)

通称「韴霊剣」。昭和30年6月22日指定[95]。 
名称 直刀黒漆平文大刀拵(附刀唐櫃1口)
時代 奈良時代~平安時代
寸法 寸法:全長271cm 刀身223.4cm 反り0.7cm 元身幅5.1cm 先幅3.1cm 茎長36.8cm
説明 材質:鉄製 鹿島神宮には古い歴史と格式を物語る多くの宝物があります。そのうちの一つが日本で最古最大の「韴霊剣」の名を伝える直刀です。 『常陸国風土記』には、慶雲元年(704)に鹿島の砂鉄で剣を造ったと記されています。
大刀国宝 黒漆平文
出典:http://kashimashi.info/

「韴霊剣」は、鹿島神宮の境内にある宝物館に納められています。
宝物館

三種の神器のひとつが草薙の剣であるように、刀剣は、鏡とともに、霊性を表す宝物として数々の伝説を残してきました。

日本神話の中で、草薙の剣とともに、重要な位置を占める刀剣と言えば、鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチのもつ布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ 通称「韴霊剣」)でしょう。

布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)は、日本神話「国譲り」においてタケミカヅチが、葦原中国(あしはらのなかつくに)を制圧するために力を発揮し
神武東征の際、危機に陥ったイワレビコ(神武天皇)を助けるために、タケミカヅチが、進呈し、その霊力によって難局を乗り切ったということが言い伝えられています。

布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)のその後は、神武天皇即位後に宮中に祀られ、のち崇神天皇の御世に石上神宮(奈良県天理市)に遷され祀られたとされたということになっています。

布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)は、タケミカヅチの手元には、戻ってこなかったという。

つまり、鹿島神宮に納められている「韴霊剣」は、二代目(複製)だというのが定説になっています。(鹿島神宮は、複製であることを否定しています。)

石上神宮(奈良県天理市) 
布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)をご神体とする布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)を祀っています。
石上神宮

ちなみに、もうひとつの神剣 天叢雲剣(草薙の剣)は、熱田神宮に納められています。
熱田神宮もまた天叢雲剣(草薙の剣)をご神体とする神社です。

熱田神宮
熱田神宮
出典:wikipededia

草薙の剣
草薙の剣

参)草薙の剣
スサノオが、ヤマタノオロチを倒したときに尾から出てきた大刀。
スサノオは、アマテラスに献上し、これが、天孫降臨のときの三種の神器のひとつとなる。
皇居→伊勢神宮へと場所を移すが、東征時に、ヤマトヒメからヤマトタケルへ手渡された。
東征後、ヤマトタケルは、妻であるミヤズヒメに当剣を預け、戦いに向かう帰りに亡くなってしまった。
その後、ミヤズヒメが剣を祀るために建てたのが、熱田神宮だという。

天智天皇の時代(668年)、新羅人による盗難にあい、一時的に宮中で保管された。天武天皇の時代、天武天皇が病に倒れると、占いにより神剣の祟りだという事で再び熱田神宮へ戻された。
戦災を逃れるため、1945年8月21日から同年9月19日までの間、飛騨一宮水無神社に遷座した。

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