戸隠神社

神話「岩戸開き」に功績のある祭神を祀る古社
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概要

霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社。
「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々を祀っている。
中世には、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほど修験道道場として名を知られた霊場だった。
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基本情報

◆所在地 長野県長野市戸隠3690
◆公式ホームページ http://www.togakushi-jinja.jp/
◆社格等 –
◆創建 –
◆札所等 –

祭神

各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は、天照大神天岩戸に隠れた「岩戸隠れ」において活躍した祭神を祀っている。

「岩戸隠れ」 弟神のスサノオの非行に嫌気が差したアマテラスが天岩戸に隠れてしまったために、世は暗黒になり、それを打破するために、神々が集まってアマテラスを外に出し、再び光を手に入れたという逸話

主祭神
奥社天手力雄命
天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。

相殿神
中社天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。

火之御子社天鈿女命(あめのうずめのみこと)
天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。舞楽や芸能、また火防の神とされる。
高皇産霊命(たかむすびのみこと)
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)高皇産霊命の娘
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)栲幡千々姫命の夫

宝光社:天表春命(あめのうわはるのみこと)天八意思兼命の子
学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。

九頭龍社:九頭龍大神。地主神として崇められている。
古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。

エピソード

創建

一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
また日本書紀の天武紀には684年三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせたとある。
そして書紀には持統天皇が691年に使者を遣わし、信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。

修験道場としての隆盛

平安時代後期以降、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られた。
修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。

善光寺との関係

当山(延暦寺山門派)の別当職であった栗田氏が鎌倉期以後は山麓の善光寺(園城寺寺門派)別当を世襲したこともあって両寺は関連を強め、参詣者は一度に両方を共に参詣することが多かった。
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天台・真言両宗の闘争

室町時代 当社にて天台・真言両宗の法論闘争が発生。
応仁2年(1468年)天台派の宣澄法師が真言派に暗殺された。
後世に至って宣澄の供養のため、宝永5年(1708年)に宣澄社が建立され、村人によって毎年8月16日の中社の例祭に「宣澄踊り」が奉納されるようになった。
現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であり、これと激しく抗争して約500年前に滅亡したとされる西光寺など真言系の寺院が存在していた事も知られている。

戦国争乱時の危機

戦国時代に当社のある北信濃地域は信濃侵攻を行う甲斐国の武田晴信(信玄)と北信豪族の後ろ盾となった越後国の上杉謙信との争乱に巻き込まれた。
別当である栗田氏が分裂するなど、両軍によって絶えず危機に晒された。
川中島の戦い当時は、多くの修験者と信仰者集団を抱えていた戸隠神社や飯綱神社は武田、上杉両軍の双方にとってぜひ味方につけたい存在であり、修験者は広く各地の情報に通じ多くの人々を牽引し戦況を占い、何より薬草の知識は従軍医師としての期待が大きかった。
このため善光寺や、戸隠、飯綱を味方にするか敵に回すかは極めて重要であったため、これらをめぐって戦火に巻き込まれ熾烈な戦闘が繰り返されていた。

修験道場から門前町へと変貌

江戸時代に入り徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。
同時に東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。

五社の構成

奥社(おくしゃ)
戸隠神社の御本社。祭神は天手力雄命。
全国に開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が広宣され多くの崇敬者が登拝される。
参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いている。
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随神門(補修・葺き替え前)
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中社(ちゅうしゃ)
現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に奥社の相殿として創建された。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
社殿天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた「龍の天井絵」がある。
また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、戸隠神社の社務所が置かれている。
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宝光社(ほうこうしゃ)
現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に奥社の相殿として創建されたものである。祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)
学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。麓から登ってきて最初にあり、うっそうとした杉木立の階段を上って参拝する。旧宝光院。
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火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く)
創建は天福元年(1233年)。祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。
他に高皇産霊命(たかむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。
創建以来、このお社だけは、神仏習合せず神社として終始していた。
舞楽芸能の神、縁結の神、火防の神として尊崇されている。
境内には樹齢500年を超える『結びの杉(二本杉)』と有名な西行桜がある。
火の御子社

九頭龍社(くずりゅうしゃ)
祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
九頭龍社

奥社および九頭龍社参道の杉並木
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