諏訪大社

御柱祭で有名な諏訪神社(約25,000社)の総本社
1280px-諏訪大社本宮拝殿

概要

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」等とも呼ばれる。
諏訪湖南岸・北岸に2宮ずつの4箇所の参拝地をもつ。
信濃国一宮。御柱祭が有名。国内にある最も古い神社の一つとされている。
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基本情報

◆所在地 長野県の諏訪湖周辺に4宮
◆公式ホームページ http://suwataisha.or.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
信濃国一宮
旧官幣大社
別表神社
◆創建 不詳
◆札所等 –

祭神

建御名方神 (たけみなかたのかみ)
上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主命の御子神として登場。
タケミカヅチと勇猛果敢に戦った。

八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
建御名方神の妃。

なお、本来の祭神は出雲系の建御名方ではなく諏訪地方の土着の神々であるという説もあり、神事や祭祀は今なおそのほとんどが土着信仰に関わるものであるとされる。

エピソード

創建

神話上(『古事記』)では、国譲りにおいて 
大国主の次男タケミナカタが、タケミカヅチとの戦いで諏訪まで敗走し、そこに国を築いたことが起源とされる。

これは神話であるが、諏訪において土着勢力の上に外部から支配層が現れ、新たな国づくりを進めたことを象徴しているとみられる。
諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており、原始日本においてもっとも繁栄していた地域のひとつであったことがわかる。

諏訪盆地
中心に諏訪湖。湖の左下(南東)に上社、右上(北)に下社が鎮座する。
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御柱

当社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ4本のモミの柱が建てられている。
下社秋宮・春宮では御柱先端の御幣が正面(裏面は曳行により削れている)を向いているが、上社本宮・前宮では諏訪大社奥宮のある八ヶ岳の方向を向いている。

諏訪地方では、大きい神社から小さい祠に至るまで、当社にならってこの御柱を設ける社が多い。
御柱の由来は明らかでなく古来より説があるが、今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説が検討の余地を残している。

諏訪大社の御柱は寅と申の年に建て替えられ(御柱祭)、全国の諏訪神社や関連社でも同様の祭(小宮祭)が行われる。

御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。

諏訪大社には本殿がない。(前宮を除く。)それが、社殿がなかったと言われる古代の神社の姿であり、古社であることを示している。
代りに、本宮は拝殿後背林(通称 御山)。秋宮は一位の木。春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝している。

前宮一之御柱
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小社にも設けられた御柱の例
(諏訪市 手長神社境内社)
320px-手長神社_摂末社

御柱祭

正式名称は、諏訪大社式年造営御柱大祭
寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に、樅を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。諏訪大社の最も重要な祭である。
御柱と同時に、宝殿の建て替えのため宝殿内の神器の遷座も行われる。
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軍神としての崇敬

古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられる。

鎌倉時代になると平家没官領として源頼朝に給付された。
源頼朝は神馬を奉納し、信濃御家人に諏訪大社への神役勤仕(しんやくごんじ)を徹底させ、大祝に従うべきことを命じている。
毎年恒例の五月会や上社南方の御射山で行われた御射山祭には鎌倉を始め甲斐・信濃など周辺の武士が参加した。
鎌倉幕府が禁止した鷹狩も諏訪大明神の「神御贄鷹」に限っては許可された。
鎌倉幕府と朝廷の庇護下、今日に見る諏訪信仰の全国への広まりが形成された。

武田信玄の崇敬は厚く、信玄は、諏訪を手に入れると当社の祭祀の再興を図った。
戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられる。

江戸幕府第3代将軍徳川家光によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵された。
また高島藩から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・保科正之から上社100石・下社50石が寄進された。

神仏習合

神仏習合により上社・下社に神宮寺が設けられて別当寺(神社を管理する寺)となり、上社は普賢菩薩・下社は千手観音が本地仏とされた。

各社概要

上社

上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。
本宮・前宮からなり、二宮は、本社・摂社という関係であった。
御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格を有している。
かつては本宮を主として上諏訪の中心地であった。

祭神
本宮:建御名方神 (たけみなかたのかみ)
前宮:八坂刀売神 (やさかとめのかみ)

本宮
本宮は、神体山「守屋山」北麓に鎮座する。
社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されている。
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前宮
前宮は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には水眼(すいが)川が流れる。
大祝の居館(神殿「ごうどの」)が設けられ、周辺は「神原(ごうばら)」と呼ばれた。
大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。
※大祝は神体と同視(= 現人神)されていた。
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水眼(すいが)の清流
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祭事
蛙狩神事
元日の朝に上社本宮で行われる神事。まず御手洗川の川底を掘り返し、蛙を捕らえる。その後拝殿正面にて矢を以てこの蛙を射抜き、生贄として神前に捧げ、宮司が祝詞を捧げ国家平安と五穀豊饒を祈願する。蛙を供えるのは、諏訪大社の本来の祭神が、蛇神とされるソソウ神や、諏訪地方ではソソウ神と同一視されやはり蛇神とされたミシャグジ神であったとされ、蛇神に捧げる(蛇は蛙が好物)意味があるとされる。
2011年の神事直後から、地元の環境NGO団体から抗議をうけ、2013年には地元の環境NGO団体が撮影した動画と写真がネット上に掲載され、複数の動物愛護団体から動物虐待であるとして抗議を受けるようになり2015年に数々のメディアで報道される[32]。

御頭祭
4月15日に上社で行われる祭。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを「禽獣の高盛」と呼んだという内容が残っている。また諏訪大社七不思議の1つとして「耳裂鹿」というものがある。これは生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。

御射山祭 (みさやまさい)
上社の狩猟神事。中世には年4回八ヶ岳の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く5日間続いた。青萱の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」の名称もある。鎌倉時代に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。
またこの祭の起こりとして、南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では、
「平安時代初期、坂上田村麻呂が蝦夷征討のため信濃まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日(旧暦7月27日)になると討ち取られた高丸の怨霊が嵐を起こすといわれる」
という伝説を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。

下社

下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。
秋宮・春宮からなり、、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。
南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。
一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。

祭神
建御名方神 (たけみなかたのかみ)
八坂刀売神 (やさかとめのかみ) – 主祭神
八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) – 合祀。建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる。

秋宮
秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。
毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。
周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた。
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春宮
春宮(はるみや)は、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座する。西方には砥川が流れている。
毎年2月-7月に祭神が祀られている。境内は社殿3棟が国の重要文化財に指定されている。
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祭事
筒粥神事
1月14日の夜から1月15日の明け方にかけて下社春宮境内の筒粥殿にて行われる神事。葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事である。この占いの結果は地元メディアによって報道される。かつては上社でも行われていたが、現在の上社においては上社筒粥殿の遺構が境内に遺るのみである。

犬追物 (江戸時代中期まで)
旧暦7月1日、下社遷座祭で遷座の行列がお宮に到着すると、馬場で犬追物の神事が行われた。
江戸時代中期以降廃れる。

御舟祭 (おふねまつり)
下社の例大祭で、8月1日に催される。神体を舟(柴舟)に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。舟は南北朝時代に書かれた『諏訪大明神絵詞』には「鉾山」と書いてあり、江戸時代から「御舟」と呼ばれるようになったとされる。舟の上には翁、媼とみられる人形が乗せられる。
なお、2月1日に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。

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