北口本宮冨士浅間神社

武田信玄による富士権現造営を起源とする富士講の聖地
北口本宮冨士浅間神社

概要

吉田口(北口)登山道に位置し、富士講の聖地として栄えた社。
かつては、諏訪神社であったが、武田信玄の富士権現造営から浅間信仰に転じたと考えられている。
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基本情報

◆所在地 山梨県富士吉田市上吉田5558
◆公式ホームページ http://www.sengenjinja.jp/
◆社格等
旧県社
別表神社
◆創建 延暦7年(788年)
◆札所等 –

祭神

木花開耶姫命
彦火瓊瓊杵命 – 夫神
大山祇神 – 父神

エピソード

創建

社伝によると、
景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の際に、当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになったことから大鳥居が建てられ、浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。

天応元年(781)、富士山の噴火があり、延暦7年(788年)に、甲斐国主の紀豊庭朝臣が、大塚丘の北方に社殿を建立しました。
これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。

諏訪神社

社伝は、上記のような創建と伝えるが、当初は、諏訪神社であったと考えられている。
富士山神事に関わる案件に対しても、諏訪禰宜に宛てがわれていることが記述されている。

武田信玄と富士権現

『甲斐国志』によると永禄4年(1561年)3月2日に武田信玄が富士権現を造営したとある。
富士信仰・浅間信仰のはじめであり、北口本宮冨士浅間神社の元になるものであるとされている。
永禄4年(1561)に武田信玄が再建した社殿が現存する中では最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側にある。

東宮本殿
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富士講

古代、富士山に人が入ることは禁忌だった。よって当地は、ご神体の富士山を遥かに拝み祭祀を行う場であった。
大宝元年(701)に修験の祖「役小角」がはじめて登山したと伝えられ、平安時代には、「御山に登ること即ち祈り」とする「登拝」によって、人々は山頂を目指すようになった。

富士講の開祖と仰がれる藤原角行師とその弟子たちにより「富士講」は、一般にも広く普及するようになった。
ちなみに、藤原角行師は、1577年にはじめて富士登山をしたとされる。
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村上光清による再興

一時荒廃していたが、享保年間になって、藤原角行師の6世の弟子であった村上光清が私財を投げ打って境内社殿の大造営を行い、富士講の参詣者を集めた。
そのため、江戸時代には富士講が流行し、「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になった。
当社は富士登山道の吉田口の起点にあたるため、周辺には御師の宿坊が百件近く立ち並んだこともある。

現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まり、廃仏毀釈により損失しつつも噴火の被害は受けずに、現在もなお当時のままの荘厳な趣を伝えている。

拝殿
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西宮本殿
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御神木

拝殿の前の両脇には樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木がある。

「富士太郎杉」
富士太郎杉

「富士夫婦檜」
富士夫婦ひのき

小室浅間神社との関係

同じ富士吉田市下吉田にある小室浅間神社に対して「上浅間」と呼ばれる事があるが、直接的な関係は無い。富士吉田地域に於いて、この神社が富士講御師に依る対外的な信仰を集め、下吉田の小室浅間は農耕信仰を中心として地元民の生活に根差した文化があった。

小室浅間神社
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