熱田神宮

熱田神宮  草薙の剣を祀る中京一の大社
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概要

ヤマトタケルの妃(宮簀媛命)が、形見である三種の神器「草薙の剣」を祀ったことを起源とする社。
伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えた。
宮中の四方拝で遥拝される一社。 中京随一の大社。

鳥居
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基本情報

◆所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
◆公式ホームページ http://kashimajingu.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
尾張国三宮
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
◆創建 (伝)景行天皇43年
◆札所等 –

社殿
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祭神

主祭神
熱田大神(あつたのおおかみ)
三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣とも)

熱田神宮は、熱田大神を草薙神剣を御神体とする天照大神を指すとするが、その経緯からヤマトタケルだとする説も根強い。

相殿神
相殿には、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。
天照大神(あまてらすおおかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

草薙の剣

ヤマタノオロチの討伐時の発見

スサノオ(素盞嗚尊)が、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、恐れ多いと姉神であるアマテラス(天照大神)に献上。

天孫降臨

アマテラスは、その草薙剣を天孫降臨の際に、皇位継承を正当付ける三種の神器のひとつとして、ニニギ(迩迩芸命)に授けた。

ヤマトタケルの蝦夷征伐

日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行った。

熱田での鎮座

ヤマトタケルは、草薙の剣を妃の宮簀媛命に預けたまま、敗死した。
妃の宮簀媛命は、熱田の地に草薙の剣を祀った。

受難

草薙の剣は、鎮座の後も盗難に遭い(天智天皇期)、一時的に宮中で保管されるなどしたが、天武天皇が病に倒れると、占いにより神剣の祟りだという事で再び熱田神宮へ戻された。
1945年8月21日から同年9月19日までの間、戦災と米軍から守るため、飛騨一宮水無神社に遷座した。

エピソード

創建

第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手元へ留め置いた。
日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。
そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれているとされ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。
景行天皇43年創建(西暦113年)2013年(平成25年)に「創祀千九百年大祭」が行われた。

鎮座地

名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する。
現在は、周辺の干拓が進み、その面影は見られないが、古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していた。
その地は、古来より「蓬莱島」の名でも呼ばれており、樹齢千年を越える、老松古杉の生い茂る熱田の社が海に突き出る岬のように見え、巨大な亀の甲羅上にあると例えられた事から、熱田神宮の事を不老不死の神仙の住む蓬莱島に擬せられたからであろうとされている。

楊貴妃に纏わる伝説

熱田神宮には楊貴妃に纏わる伝説がある。中国の唐の時代に野心的な玄宗皇帝が日本侵略の隙をうかがっていた。
その事を逸早く知った日本の神々が集まり、それに対応する為、話し合った結果、熱田大明神が刺客として絶世の美女の姿に変身し、玄宗に近づき、その美貌で日本を侵略させない様に玄宗をたぶらかした。
最初の作戦は成功していたが正体がばれ、後に殺された。そして楊貴妃に変身していた熱田大明神の魂が、熱田に戻ったと言うもの。

織田信長の戦勝祈願

戦国時代に織田信長は桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた。
合戦後、信長が勝利した御礼として築いたとされる塀(信長塀)の一部が現存し、「日本三大土塀」の一つとされる。

信長塀
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社格

近代社格制度により、熱田神宮は官幣大社に列格した。
熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願し続け、1889年(明治22年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。
1890年(明治23年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出されたが、この勅令案は否決された。

社殿

尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、1889年(明治22年)、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。
神明造による社殿の造営は進められ、1893年(明治26年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した。
戦後、伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、1955年(昭和30年)10月に再建された。

二十五丁橋

西行法師が腰をかけて休んだという伝承がある「二十五丁橋」は、尾張名所図会や名古屋甚句に登場し、名古屋では最古の石橋とされる。
熱田二十五丁橋

国宝 短刀 銘来国俊

短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
熱田国宝

摂末社

境内には本宮を始めとして別宮1社・摂社8社・末社19社が、境外には摂社4社・末社12社があり、合わせて45社(本宮含む)を祀っている。

別宮

八剣宮(はっけんぐう)
社格:式内社「八剣神社」
祭神:熱田大神 – 本宮と同神
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摂社
本宮祭神の妃神・御子神や地主神など、縁の深い神々を祀る。

境内社
一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)
祭神:天照大神荒魂
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日割御子神社(ひさきのみこじんじゃ)
社格:名神大社「日割御子神社」
祭神:天忍穂耳尊
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孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)
社格:名神大社「孫若御子神社」論社
祭神:天火明神
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南新宮社(みなみしんぐうしゃ)
祭神:素盞嗚尊
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御田神社(みたじんじゃ)
社格:式内社「御田神社」論社
祭神:大年神
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下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)
社格:式内社「下知我麻神社」後継社
祭神:真敷刀俾命
かつては上知我麻神社とともに南区の星宮社に祀られていた。
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上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)
社格:式内社「上知我麻神社」後継社
祭神:乎止與命
上知我麻神社末社:大国主社(おおくにぬししゃ) – 祭神:大国主命
上知我麻神社末社:事代主社(ことしろぬししゃ) – 祭神:事代主命
かつては下知我麻神社とともに南区の星宮社に祀られていた。
左に事代主社、右に大国主社。
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龍神社(りゅうじんじゃ)
祭神:吉備武彦命、大伴武日命
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境外社
高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
所在地:名古屋市熱田区高蔵町
社格:名神大社「高座結御子神社」
祭神:高倉下命
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氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)
所在地:名古屋市緑区大高町
社格:式内社「火上姉子神社」
祭神:宮簀媛命
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境外末社

青衾神社(あおぶすまじんじゃ)
所在地:名古屋市熱田区白鳥
社格:式内社「青衾神社」
祭神:天白王月神 天道日女命
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松姤神社(まつごじんじゃ)
所在地:名古屋市熱田区神宮
祭神:宮簀媛命
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朝苧社(あさおしゃ) – 祭神:火上老婆靈(うばのみたま)
日本武尊が草薙剣を宮簀媛命へ渡してから熱田に剣を奉斎鎮守するまでの間、剣が火上山に置かれていたことから、「元熱田」とも呼ばれる。

末社

大幸田神社(おおさきだじんじゃ) – 祭神:宇迦之御魂神
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清水社(しみずしゃ) – 祭神:罔象女神(みずはのめ)
東八百萬神社(ひがしやおよろずじんじゃ) – 祭神:東国坐八百万神
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西八百萬神社(にしやおよろずじんじゃ) – 祭神:西国坐八百万神
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楠之御前社(くすのみまえじんじゃ) – 祭神:伊弉諾尊、伊弉册尊
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菅原社(すがわらしゃ) – 祭神:菅原道真
徹社(とおすのやしろ) – 祭神:天照大神和魂
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八子社(やこのやしろ) – 祭神:五男三女神
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曽志茂利社(そしもりしゃ) – 祭神:居茂利大神(素盞嗚尊)
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境外社
鈴之御前社(れいのみまえじんじゃ) – 祭神:天鈿女命
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南楠社(みなみくすしゃ) – 祭神:熱田大神
浮島社(うきしましゃ) – 祭神:天穂日命
影向間社(ようごうのましゃ) – 祭神:熱田大神
琴瀬山社(ことせやましゃ) – 祭神:熱田大神、大山津見神、久久能智神

初詣来場数人気ランキング(京都 神社編)

初詣とは?

初詣は、大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る「年籠もり」の習慣から始まりました。
やがて、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれました。
江戸時代までの「元日詣」は、氏神もしくは恵方の社寺への参詣が基本で、現在のように有名な寺社に参詣することが一般化したのは、明治中期以降のことです。
また、寺社への参拝のために、鉄道が引かれるなど(成田山新勝寺が典型)交通網の発達は、有名寺社への初詣参拝を飛躍的に押し進める結果となりました。

初詣の参拝者数が意味するもの

ほとんどすべての寺社が、初詣を行事化していますので、初詣の人手は、寺社(パワースポット)の一般的な人気を図る上で、非常にわかりやすい指標です。
もちろん寺格・社格を図る指標にもなりえますが、交通アクセスやキャパシティ(収容人数)も人手に強い影響を与えますので、アクセスが悪く、来場数は多くないけど由緒正しき寺社が多くあることも忘れないでください。

初詣の参拝者数値について

多くの寺社は、各々初詣の人手を発表していますが、比較的多めに発表する傾向があるため、あまり信用はできません。
2009年までは、警察が、初詣の来場数を発表していました。
これもどこまで正確かは不明ですが、中立的な数字として採用したいと思います。

京都(神社)の初詣参拝者数ランキング

京都の初詣参拝者数ランキングの傾向

伏見稲荷大社の一人勝ち

京都(神社)の初詣参拝者数ランキング

京都(神社)
1位 伏見稲荷大社(京都市伏見区)277万人
2位 八坂神社(京都府京都市東山区)100万人
3位 北野天満宮(京都市東山区)  50万人
4位 地主神社(京都市東山区)   30万人
5位 松尾大社(京都市西京区)   25万人
6位 平安神宮(京都市左京区)   20万人
7位 下鴨神社(賀茂御祖神社)   20万人
8位 石清水八幡宮(八幡市)    12万人
9位 上賀茂神社(京都市北区)   10万人
10位 西院春日神社(京都市右京区) 3万人
11位 金刀比羅神社(京丹後市)  3万人
12位 貴船神社(京都市左京区) 1.5万人

京都の初詣参拝者数ランキング寺社紹介

1位 伏見稲荷大社(京都市伏見区) 277万人

千本鳥居で有名な稲荷神社(全国3万社)総本社
公式ホームページhttp://inari.jp/
伏見稲荷大社の拝殿

2位 八坂神社(京都府京都市東山区):約100万人

スサノオ信仰の総本社。祇園祭が有名。
公式ホームページ http://www.yasaka-jinja.or.jp/
八坂神社

3位 北野天満宮(京都市東山区)    50万人

菅原道真を祀る天神信仰の聖地。 学問の神様として受験生から信仰を受ける。
公式ホームページhttp://www.kitanotenmangu.or.jp/
京都の北野天満宮

4位 地主神社(京都市東山区)     30万人

元清水寺の鎮守社。大国主神を祀り縁結びの神さまとして人気。
http://www.jishujinja.or.jp/index.html
地主神社の拝殿

5位 松尾大社(京都市西京区)  25万人

酒の神として醸造家からの信仰が篤い。西の王城鎮護社に位置づけられた。
http://www.matsunoo.or.jp/
松尾大社の本殿

6位 平安神宮(京都市左京区)     20万人

平安遷都1100年を記念し、遷都を実現させた桓武天皇をご祭神として祀った神社
http://www.heianjingu.or.jp/
平安神宮

7位 下鴨神社(賀茂御祖神社)(京都市左京区) 20万人

京都最古の社寺のひとつ。上賀茂神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社。葵祭で有名。
公式ページ http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
下鴨神社

8位 石清水八幡宮(八幡市)    12万人

伊勢神宮とともに皇室からもっとも崇敬された二所宗廟の一社。
http://www.iwashimizu.or.jp/
石清水八幡宮

9位 上賀茂神社(京都市北区)   10万人

京都鬼門の守り神。下鴨神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社。葵祭で有名。
http://www.kamigamojinja.jp/
上賀茂神社

10位 西院春日神社(京都市右京区)    3万人

交通・旅行安全祈願の社
公式ホームページ http://kasuga.or.jp/
西院春日神社

11位 金刀比羅神社(京丹後市)  3万人

狛猫で有名な丹後のこんぴらさん
公式ホームページhttp://konpirasan.com/
金刀比羅神社

12位 貴船神社(京都市左京区) 1.5万人

「恋を祈る社」としても有名な雨を司る神 
公式ホームページhttp://kifunejinja.jp/
貴船神社

江島神社

江島神社 江ノ島一体を境内とする日本三大弁天
江島神社 中津宮

概要

江ノ島一体を境内とし、宗像三女神を島西方の「奥津宮(おくつみや)」中央の「中津宮(なかつみや)」北方の「辺津宮(へつみや)」に祀る。
海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれている。
日本三大弁天とされる。

基本情報

◆所在地 神奈川県藤沢市江の島2-3-8
◆公式ホームページ http://www.enoshimajinja.or.jp/
◆社格等
県社・別表神社
◆創建 (伝)欽明天皇13年(552年)
◆札所等 鎌倉江の島七福神(弁財天)

祭神

宗像三女神を祀る。「江島大神」
「奥津宮」多紀理比賣命
「中津宮」市寸島比賣命
「辺津宮」田寸津比賣命

エピソード

創建

欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。
『江島縁起』では、大地が震動し、天女が十五童子を従えて現れ、江の島を造ったと表現。

修験霊場

修験の祖 役小角が、江の島の御窟に参籠して神感を受け、修験の霊場を開いたと伝わる。
これに続き、泰澄、道智、弘法、安然、日蓮 などの名僧が、御窟で次々に行を練り、高いご神徳を仰いだと伝えられる。

三院の創建

奥津宮:旧本宮。弘仁五年(814年)に空海が創建。拝殿天井には酒井抱一の『八方睨みの亀』が描かれ、源頼朝が奉納した石鳥居がある。
江島神社奥津宮

八方睨みの亀
亀

中津宮:旧上之宮。仁寿3年(853年)慈覚大師が創建。
江島神社 中津宮

辺津宮:旧下之宮。建永元年(1206年)源実朝が創建。
江島神社 辺津宮

弁財天信仰

寿永元年(1182年)、源頼朝が八臂弁財天を奉納、文覚が島の岩屋に弁財天を勧請し、歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。(『吾妻鏡』)
江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった。

現在、奉安殿に八臂弁財天と、日本三大弁財天のひとつとして有名な裸弁財天の妙音弁財天が安置されている。

八臂弁財天(神奈川県獣医用文化財)
八臂弁財天

妙音弁財天(日本三大弁財天)
妙音弁財天

奉安殿
奉安殿

御神徳

鎌倉時代には、源頼朝が、岩屋に参籠して戦勝祈願。(八臂弁財天と鳥居を奉納。)
後宇多天皇は、元寇で蒙古軍を撃ち退けた御礼として、江島大明神の勅額を奉納されました。
このことから“戦いの神”としての弁財天信仰が広がり、東国武士たちが多く江の島を訪れるようになりました。

江戸時代になってからは泰平の世となり、江島神社は“戦いの神”から“芸能・音楽・知恵の神”として、また“福徳財宝の神”として信仰されるようになりました。慶長五年(1600年)には徳川家康も参詣、代々の将軍たちも、病気の治癒、安産、旅行の安全などを祈願したと伝えられています。

山王日枝神社

山王日枝神社 日本三大祭「山王祭」で有名な江戸城の鎮守
日枝神社 神門

概要

江戸の築城にあたり太田道灌が江戸の守護神として祀ったことにはじまる。
山王祭は、日本三大祭として有名。

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基本情報

◆所在地 東京都千代田区永田町2丁目10番5号
◆公式ホームページ http://www.hiejinja.net/
◆社格等
官幣大社・別表神社
◆創建 不詳
◆札所等 –
山王本殿

祭神

主祭神 大山咋神

相殿神
国常立神(くにのとこたちのかみ)
伊弉冉神(いざなみのかみ)
足仲彦尊(仲哀天皇 たらしなかつひこのみこと)

日本三大 山王祭

祇園祭(京都 八坂神社)・天神祭(大阪 天満宮)とともに日本三大祭
神田祭(神田明神)・深川八幡祭(富岡八幡宮)とともに江戸三大祭

大祭は神田祭と交互で毎年西暦偶数年に行われる。内容は神田祭と類似する。

歴史

元和元年(1615年)には祭の山車や神輿が江戸城内に入る事が許され、将軍の上覧を許されるようになった。
また祭礼は本来毎年行われていたが、天和元年(1681年)以後には神田明神の神田祭と交互に隔年で行われる事になった。

最盛期には神輿3基、山車60台という大行列となった。また後には祇園会と混同され、江戸を代表する夏祭りとしても扱われるようになった。
日枝神社は、江戸城の守護を司ったために、祭礼に対しても幕府の保護が手厚かったため、「御用祭」ともいわれました。(将軍の名代が派遣されたり、祭祀に必要な調度品の費用や人員が幕府から出されるなどした。)
山王祭2

上覧祭

山王祭といえば「神幸祭」です。その神幸祭が初めて見えるのは、二代将軍秀忠公の元和2年(1616)からといわれています。
また寛永12年(1635)家光公が城の楼上にて神幸行列を御覧になり、これが「徳川実紀」における将軍上覧の初見です。以後、将軍の上覧は江戸時代を通じて恒例となり、神輿の城内渡御は106回を数えました。
山王祭

神幸行列

山王祭の神幸行列は「神輿行列」と「山車行列」で構成されています。
山車行列は氏子の町々(百六十余町)が単独或いは類で参加し、山車の数45台と決められましたが、踊屋台、練り物に趣向が凝らされ、華美に亘るものでした。
そのため、しばしば禁制をもって取締りがありました。
山王祭3
明治維新後、、高さ4メートルの電線が巡らされるようになると、山車、錦旗は通行が難しくなり、やがて神輿に取って代わっていきました。

神幸祭

山王祭最大の盛儀で、優雅な格調高い御列は、都心に華麗な王朝絵巻を繰り広げます。
神威ひときわ輝く御鳳輦二基・宮神輿一基・山車三基が、王朝装束に威儀を正した総代役員や氏子青年に供奉されながら、氏子区域を巡幸します。 供奉員総勢約500人・御列は300メートルに及びます。
山王祭4

エピソード

創建

創建の年代は不詳。武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀ったことを起源としています。
文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、鎮護の神として江戸城内に、川越日枝神社を勧請したのに始まり、その神威をもって江戸の町の繁栄の礎を築きました。
幕府からは「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、庶民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、新たに社地を江戸城外に定め、庶民が参拝できるようになりました。

江戸幕府の崇敬

社地は家康により5石、元和3年(1617年)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635年)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった。

裏鬼門への遷座

明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659年)、将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座しました。
この地は江戸城から見て裏鬼門に位置します。。

官幣大社への昇格

明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定されたが、
その後明治3年(1871年)に神祇官直下から東京府管轄に移され、明治5年(1873年)の官国幣社の選定時にも漏れ、そのまま東京府の府社となった。
1881年(明治14年)に、氷川神社宮司(兼日枝神社の祠官)平山省斎が、「皇城鎮護の神社は、官幣大社であるべきだ。」と願い出た。
その甲斐あって、1882年官幣中社、1912年には官幣大社に昇格した。

山王鳥居

山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされます。
山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。
山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰です。
山王鳥居
裏参道 大鳥居
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公道より山王鳥居を見る
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国宝 太刀 銘則宗

この太刀は、正保三年六月六日徳川徳松君の初宮参りの折に寄進されたもので、徳松君は三代将軍家光公の第四子で、のちの五代将軍綱吉公である。則宗は鎌倉初期の刀工で福岡一文字派の祖であり、後鳥羽院御番鍛冶の 一人である。福岡一文字というのは、備前国福岡に在住したからの称呼で、細身の腰反りの高い上品な姿は平安時代の趣を伝え、小丁子に小乱という古雅な出来である。
「則宗」現存はすこぶる稀でありこの太刀はその白眉である。附属太刀拵は江戸初期の製作である。
山王日枝 刀剣 山王日枝 刀剣2

社伝天井絵

日枝神社復興50年を記念して、平成20年6月に国立東京藝術大学宮田亮平学長監修の下、江戸山王権現社草創期の鎌倉時代古江戸・武蔵野の原野を彩った百花草木に鳥虫を加えた123枚の板絵が拝殿天井に掲げられました。
彩色には、緑青・藤黄・朱・群青・臙脂・黄土を始め天然岩絵具を使用しています。
山王日枝 社伝天井絵

寒川神社

寒川神社 唯一の八方除の守護神として有名な相模国一宮
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概要

古くより関八州の守り神として、また江戸の正裏鬼門をお護りするお社として、全国唯一の方位除・八方除の守護神として信仰されています。
地相・家相・方位・日柄・厄年などに由来するすべての禍事・災難を取り除き、家業繁栄・福徳円満な日々をもたらすと言われているのが八方除の信仰です。
相模国一の宮。テレビ放送の関係者には古くから「視聴率祈願の神社」として知られる。

神門
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基本情報

◆所在地 神奈川県高座郡寒川町宮山3916
◆公式ホームページ http://samukawajinjya.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
相模国一宮
旧国幣中社
別表神社
◆創建 不詳
◆札所等 –

祭神

現在の祭神は以下の2柱で、寒川大明神と総称される。2柱とも記紀には記載がなく、詳細は不明。
寒川比古命 (さむかわひこのみこと)
寒川比女命 (さむかわひめのみこと)
寒川大明神は八方除の神とされる。なお、八方除では当社の他にも久伊豆神社などが知られる。
また、祭神については他にも八幡神、あるいは菊理媛、素盞嗚命、稲田姫尊などの諸説がある。

エピソード

相模国一宮

『延喜式神名帳』では「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされたことがわかる。

武田信玄とのゆかり

戦国時代には武田信玄が行軍中に当社を参拝し、自身の纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納した。

八方除

八方除とは、地相、家相、方位、日柄等からくるすべての悪事災難を祓い除く御祈願のことです。
寒川神社は、いわゆる方災厄除の神としての信仰であり、八方除の守護神として全国よりその御神徳が慕われ信仰されています。

その由来としては、
1.二至二分の日没が名山に沈む。 2.(創建当初)相模湾に面していた。
という好条件が影響したと考えられています。

夏至の日の入り - 丹沢の大山
春分・秋分の日の入り - 富士山
冬至の日の入り - 箱根の神山
寒川神社が建立された当時は海水準が高く、寒川神社は直接相模湾に面していたと考えられている。 これらの好条件から、八方除けの神社として建立された可能性が高い。

神門

本殿及び拝殿の手前には神門がある。
2001年より新年から2月の節分まで、神門に神話にちなんだ迎春ねぶたが飾られるようになり、夜にはライトアップもされている。
2012年まではその年の干支にちなんだねぶたが飾られていたが、干支が一巡した2013年からは神話ねぶたが飾られている。

神門のねぶたライトアップ
(2013年『巳年』)
640px-Samukawa_Shrine-Shinmon_lightup

鳥居

参道は当社境内から南に1kmほど進んだ相模線の踏切近くにある一之鳥居から始まり、参道途中には二之鳥居(大鳥居)、境内入口には最後の鳥居となる三之鳥居がある。

境内の参道
320px-Samukawa_Shrine_gateway

一の鳥居
320px-寒川神社_一の鳥居

大鳥居(二の鳥居)
320px-寒川神社_大鳥居

神嶽山神苑

神嶽山神苑(かんたけやましんえん)は、本殿裏手の神苑。
神苑
320px-寒川神社_神苑
「難波の小池(なんばのこいけ)」を中心に、裏山の神嶽山(かんたけやま)を主とする。2009年に開苑した。
期間:4月1日より11月30日まで。毎週月曜日は休苑日(祝祭日は開苑)
時間:午前9時から午後4時まで(入苑料は無料)
茶屋:午前9時30分から午後3時30分まで
条件:入苑は本殿で祈祷を受けた者に限る

裏参拝所

神嶽山を正中軸より拝する場所。

神嶽山(裏参拝所より)
320px-寒川神社_神嶽山

八氣の泉(はっきのいずみ)

旧三之鳥居の基礎石から湧き出る泉。
寒川はっきの泉

国府祭

相模国総社の六所神社の神と、寒川神社を含む一宮から五宮まで(一宮・寒川神社、二宮・川勾神社、三宮・比々多神社(伊勢原)、四宮・前鳥神社(平塚)、五宮・平塚八幡宮)の神々が対面する「座問答」という珍しい儀式を行う。古くは各国府において国府祭が行われていたが、廃止されずに現代まで伝わる数少ない祭事である。 毎年5月5日開催。