山王日枝神社

山王日枝神社 日本三大祭「山王祭」で有名な江戸城の鎮守
日枝神社 神門

概要

江戸の築城にあたり太田道灌が江戸の守護神として祀ったことにはじまる。
山王祭は、日本三大祭として有名。

Hie_jinja3

基本情報

◆所在地 東京都千代田区永田町2丁目10番5号
◆公式ホームページ http://www.hiejinja.net/
◆社格等
官幣大社・別表神社
◆創建 不詳
◆札所等 –
山王本殿

祭神

主祭神 大山咋神

相殿神
国常立神(くにのとこたちのかみ)
伊弉冉神(いざなみのかみ)
足仲彦尊(仲哀天皇 たらしなかつひこのみこと)

日本三大 山王祭

祇園祭(京都 八坂神社)・天神祭(大阪 天満宮)とともに日本三大祭
神田祭(神田明神)・深川八幡祭(富岡八幡宮)とともに江戸三大祭

大祭は神田祭と交互で毎年西暦偶数年に行われる。内容は神田祭と類似する。

歴史

元和元年(1615年)には祭の山車や神輿が江戸城内に入る事が許され、将軍の上覧を許されるようになった。
また祭礼は本来毎年行われていたが、天和元年(1681年)以後には神田明神の神田祭と交互に隔年で行われる事になった。

最盛期には神輿3基、山車60台という大行列となった。また後には祇園会と混同され、江戸を代表する夏祭りとしても扱われるようになった。
日枝神社は、江戸城の守護を司ったために、祭礼に対しても幕府の保護が手厚かったため、「御用祭」ともいわれました。(将軍の名代が派遣されたり、祭祀に必要な調度品の費用や人員が幕府から出されるなどした。)
山王祭2

上覧祭

山王祭といえば「神幸祭」です。その神幸祭が初めて見えるのは、二代将軍秀忠公の元和2年(1616)からといわれています。
また寛永12年(1635)家光公が城の楼上にて神幸行列を御覧になり、これが「徳川実紀」における将軍上覧の初見です。以後、将軍の上覧は江戸時代を通じて恒例となり、神輿の城内渡御は106回を数えました。
山王祭

神幸行列

山王祭の神幸行列は「神輿行列」と「山車行列」で構成されています。
山車行列は氏子の町々(百六十余町)が単独或いは類で参加し、山車の数45台と決められましたが、踊屋台、練り物に趣向が凝らされ、華美に亘るものでした。
そのため、しばしば禁制をもって取締りがありました。
山王祭3
明治維新後、、高さ4メートルの電線が巡らされるようになると、山車、錦旗は通行が難しくなり、やがて神輿に取って代わっていきました。

神幸祭

山王祭最大の盛儀で、優雅な格調高い御列は、都心に華麗な王朝絵巻を繰り広げます。
神威ひときわ輝く御鳳輦二基・宮神輿一基・山車三基が、王朝装束に威儀を正した総代役員や氏子青年に供奉されながら、氏子区域を巡幸します。 供奉員総勢約500人・御列は300メートルに及びます。
山王祭4

エピソード

創建

創建の年代は不詳。武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀ったことを起源としています。
文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、鎮護の神として江戸城内に、川越日枝神社を勧請したのに始まり、その神威をもって江戸の町の繁栄の礎を築きました。
幕府からは「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、庶民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、新たに社地を江戸城外に定め、庶民が参拝できるようになりました。

江戸幕府の崇敬

社地は家康により5石、元和3年(1617年)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635年)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった。

裏鬼門への遷座

明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659年)、将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座しました。
この地は江戸城から見て裏鬼門に位置します。。

官幣大社への昇格

明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定されたが、
その後明治3年(1871年)に神祇官直下から東京府管轄に移され、明治5年(1873年)の官国幣社の選定時にも漏れ、そのまま東京府の府社となった。
1881年(明治14年)に、氷川神社宮司(兼日枝神社の祠官)平山省斎が、「皇城鎮護の神社は、官幣大社であるべきだ。」と願い出た。
その甲斐あって、1882年官幣中社、1912年には官幣大社に昇格した。

山王鳥居

山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされます。
山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。
山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰です。
山王鳥居
裏参道 大鳥居
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公道より山王鳥居を見る
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国宝 太刀 銘則宗

この太刀は、正保三年六月六日徳川徳松君の初宮参りの折に寄進されたもので、徳松君は三代将軍家光公の第四子で、のちの五代将軍綱吉公である。則宗は鎌倉初期の刀工で福岡一文字派の祖であり、後鳥羽院御番鍛冶の 一人である。福岡一文字というのは、備前国福岡に在住したからの称呼で、細身の腰反りの高い上品な姿は平安時代の趣を伝え、小丁子に小乱という古雅な出来である。
「則宗」現存はすこぶる稀でありこの太刀はその白眉である。附属太刀拵は江戸初期の製作である。
山王日枝 刀剣 山王日枝 刀剣2

社伝天井絵

日枝神社復興50年を記念して、平成20年6月に国立東京藝術大学宮田亮平学長監修の下、江戸山王権現社草創期の鎌倉時代古江戸・武蔵野の原野を彩った百花草木に鳥虫を加えた123枚の板絵が拝殿天井に掲げられました。
彩色には、緑青・藤黄・朱・群青・臙脂・黄土を始め天然岩絵具を使用しています。
山王日枝 社伝天井絵

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