富士山本宮浅間大社

富士信仰の中心「浅間神社」の総本社
富士山本宮浅間大社

概要

代表的な富士信仰である「浅間信仰」の中心施設である浅間神社(約1300社)の総本社。
富士山を神体山として祀る。
富士山南麓(本宮)と富士山頂上(奥宮)の2宮からなる。
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産。駿河国一宮。

奥宮
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基本情報

◆所在地
本宮:静岡県富士宮市宮町1-1
奥宮:富士山頂上
◆公式ホームページ http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/index.html
◆社格等
式内社(名神大)
駿河国一宮
旧官幣大社
別表神社
◆創建 (伝)第11代垂仁天皇3年
◆札所等 –

祭神

主祭神
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
別称を「浅間大神 (あさまのおおかみ)」とする。

配神
瓊々杵尊(ににぎのみこと) – 木花之佐久夜毘売命の夫神。
大山祇神(おおやまづみのかみ) – 木花之佐久夜毘売命の父神。

浅間信仰

代表的な富士信仰であり、富士山を御神体とする「浅間大神」を崇敬する信仰。
その中心施設が、1300社あると言われる浅間神社であり、その総本宮が当社である。

浅間信仰には、美しい山容に対する憧憬と火山としての富士に対する畏怖という側面がある。

「浅間大神」に神話上の「コノハナノサクヤヒメ」が、当てられるようになったのは近世になってからとされる。

ヒメの神話界一の美貌と富士の美しい山容
ヒメの火中出産の逸話と火山「富士」とを重ねたためと考えられる。

富士山のその美しい山容から女神と見る信仰は古くからあったという。

エピソード

創建

社伝『富士本宮浅間社記』によると、垂仁天皇3年には、富士山麓の山足の地にて祀られていたという。
ヤマトタケルは、浅間大神に祈念して難を逃れたので、山宮(現 山宮浅間神社)に磐境を設け浅間大神を祀ったという。
大同元年(806年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在の大宮の地に社殿を造営したと伝える。
実際の創建は富士山噴火を鎮めるために必然的に必要とされたものであり、富士山噴火の初見である(781年)から遷座するまで806年の間と考えられていまる。

山宮浅間神社
浅間大社の元宮。
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富士山の貞観大噴火と浅間信仰の広がり

貞観6年(864年)から貞観8年(866年)に多くの被害を出した富士山の貞観大噴火に対して、朝廷では占いにより噴火を浅間社の祭祀怠慢によるものとした。
その結果甲斐国でも浅間神を祭祀することとなり、結果的に浅間信仰は甲斐側にも広がり、甲斐国の浅間神社も同国では唯一の名神大社に列し、一宮となった。
駿河国府の近くには、浅間大社から勧請を受けて浅間神社(現 静岡浅間神社の一社)も創建された。
浅間神に対する崇敬の深さがうかがわれる。

静岡浅間神社
浅間大社から駿河国府に勧請された「新宮」。
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水神から火神への転換

本宮境内の北方に鎮座している富知神社は、元々、当社鎮座地を社地としていたが、浅間神が当地に移るにあたり遷座した。
富知神社は、湧玉池を祭祀場として富士山を水神の神格で祀っていたと見られている。
このことから浅間神の遷座は、富士信仰が水の神たる「フクチ・フジ」信仰から火の神たる「アサマ」信仰へ転換したことを表す象徴的な出来事だと解されている。

富知神社
浅間大社遷座以前より祀られていた地主神。
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公家や武家からの崇敬

中世から江戸時代の終わりまで、武家からは社領の寄進や修復が重ねて行われた。
そのため、境内は広大で、本宮社地で約17,000m2になるほか、富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有している。

以下にその代表的なものを記す。

後醍醐天皇の土地の寄進
源頼朝の社領の寄進(源頼朝が富士の巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことが浅間大社の流鏑馬の起源とされる。)
北条義時の社殿の造営

足利尊氏や足利直義による社領の寄進。
今川範氏や今川泰範らの土地の安堵や諸役の免除

武田信玄は願状を捧げた。
武田勝頼は天正4年から造営を進め天正6年(1578年)に遷宮を行った。
豊臣秀吉も社領寄進の朱印状を発布している。

徳川家康は867石の朱印地を安堵したほか、関ヶ原の戦いの戦勝を記念して現在の社殿を造営した。

江戸幕府の歴代将軍も祈祷料・修理料の寄進を行った。

慶長14年(1609年)には、富士山頂における散銭取得の優先権を得た。
(1779年には三奉行による裁許により富士山の8合目以上が浅間大社へ寄進された)
4代将軍徳川家綱は金1千両を寄進。
5代将軍徳川綱吉は銀50枚・金2千両、金700両を寄進。
10代将軍徳川家治は銀300枚を寄進。
その後も徳川家の歴代将軍による崇敬が絶たれることは無かった。

社殿

本宮の本殿は、関ヶ原の戦いの戦勝祈願が成就したことによる徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されている。
。宝永地震(宝永4年(1707年))や安政東海地震(嘉永7年11月4日(1854年))などで崩壊した建物もあり、現在は本殿・拝殿・楼門が現存している。
「浅間造」桁行5間・梁間4間・寄棟造の社殿の上に三間社流造の社殿が乗り、二重の楼閣造となる珍しい形式であり、屋根は檜皮葺。

本殿(国の重要文化財)
徳川家康の造営で「浅間造」と称される。
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拝殿(静岡県指定文化財)
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楼門(静岡県指定文化財)
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湧玉池

本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されている。
何層にも重なった溶岩の間から湧出しており、水源の岩上には朱塗りの水屋神社が鎮座している。

湧玉池(特別天然記念物)
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ご神木 桜

主祭神である木花之佐久夜毘売命の「木花」は桜の意味。
このことから桜を神木として境内には約500本もの桜樹が奉納されている。
拝殿の前には武田信玄の手植えと伝わる七本の桜が存在していたといい、現在、それらの二代目とされる「信玄桜」が境内に伝わる。

信玄桜(武田信玄公手植え枝垂桜2世)
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日本三大宮司

古来より富士氏が大宮司を務め、厳島神主家・熱田大宮司家(千秋氏)と共に「日本三大宮司」の1つに数えられ、古くより朝廷・武家からの崇敬が深かった。

修験道

社地が、大宮・村山口登山道の起点に位置することもあり、古くから登山を行う修験者からの崇敬も受けていた。

三嶋大社との関係

三島神(三嶋大社)の祭神を大山祇神と見て、富士と三島が父子とする伝説も江戸時代頃から散見されるようになる

大鳥居

1934年(昭和9年)6月15日 – 富士宮駅前に大鳥居を造営。
1981年(昭和56年)3月27日 – 岳南地域都市計画の名目で富士宮駅前の浅間大社の大鳥居を撤去。
2006年(平成18年)10月29日 – 御鎮座1200年祭を催行。開催にあわせ大鳥居を再建。

大鳥居と富士山
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富士山麓 浅間神社8社めぐり
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