秩父神社と妙見信仰

秩父三山を形成し秩父夜祭で有名な秩父神社は、鎌倉時代から明治期に至るまで、妙見信仰の社として知られていました。

◆秩父神社
創建1900年を超える関東屈指の古社。
日本神話「岩戸隠れ」と「天孫降臨」で指導的な役割を果たした知恵物であるオモイカネを祭神とするため、学問に御神徳が高い。
その南東に聳える武甲山を遙拝する聖地であり、神仏分離以前は、北極星・北斗七星を神座とする妙見菩薩を祀る妙見信仰の社として栄える。
「秩父夜祭」は、毎年、20万人の人手があり、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大美祭のひとつに数えられる。
国の重要無形民俗文化財に指定。
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妙見信仰とは?

妙見信仰とは、北極星・北斗七星を神として崇拝する信仰です。
中国の道教では、あらゆる星が北極星を中心に巡ることから、全宇宙を司る星として、最高レベルの神として崇拝されていました。
北極星は、北辰(ほくしん)と呼ばれ、天帝の化現した姿だと信じられていましの天之御中主神と習合したというのが、妙見信仰の流れです。

日本の妙見信仰=菩薩信仰×道教(北極星信仰)×天之御中主神

北極星
北極星1

明治期の神仏分離令により、神社は、菩薩信仰を許されなくなったため、天之御中主神を祭神とし、妙見信仰の精神を受け継いでいます。

秩父神社と妙見信仰

秩父神社は、元来、初代の知知夫国造である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、祖神の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったことに始まります。
中世になると妙見信仰と習合し、妙見信仰の方が中心となり「秩父大宮妙見宮」として栄えました。 
そして、それは、秩父に居を構えた武士 平良文が、仕掛けたものでした。

平将門と平国香が戦った上野国染谷川の合戦で、国香に加勢した平良文は群馬郡花園村に鎮まる妙見菩薩の加護を得て、将門の軍勢を打ち破ることに成功し、それ以降、妙見菩薩を厚く信仰することになったのです。
その後、秩父に土着した子孫は秩父平氏と呼ばれる武士団を形成し、長きにわたり、妙見菩薩を信仰します。 

上野国の花園妙見(三鈷山妙見寺)
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それは、広く武家社会の信仰へとつながり、江戸時代には、徳川家康の命により現在の社殿が建てられました。
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その後、良文は下総国(千葉県)に居を移し、子孫は、千葉神社で妙見菩薩を祀ります。

千葉神社
妙見菩薩を本尊とする寺院(千葉妙見宮)として建立。
徳川家康が、参詣して寺領安堵ならびに太刀一振を寄進したとされ、同時に朱印地200石と十万石の格式が与えられました。
江戸時代には北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗の寺院であったが、明治初年の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められました。
ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は長年神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があり、今日でも同社が日本有数の「妙見信仰」の中心となっています。
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妙見菩薩の彫像

妙見菩薩は、姿形が定まっていないため、文化的価値の高い彫像があまり残されていません。

日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみです。
この像は、正安3年(1301年)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされます。
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日本三大妙見

八代妙見   熊本県八代市 八代神社 白木山神宮寺 中宮山悟真寺  琳聖太子関連。八代妙見祭。亀蛇。
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能勢妙見      大阪府豊能郡能勢町 能勢妙見宮 無漏山真如寺    日蓮宗関連。
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相馬妙見     福島県相馬市・南相馬市 相馬中村神社 相馬太田神社 相馬小高神社 坂東八平氏関連。相馬三妙見。
相馬中村神社
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その他の妙見信仰

天白山妙見寺 大阪府南河内郡太子町 妙見信仰発祥地の一つ。
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下松妙見     山口県下松市 降松神社  妙見山鷲頭寺         琳聖太子関連。大内氏の崇敬。
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秩父三社と一緒にめぐりたい秩父のパワースポット 秩父6社巡り

どうせ秩父に行くなら、秩父6社

秩父のパワースポットと言えば、秩父三社

◆三峯神社
関東有数の古社。標高1102m。狼信仰・三ツ鳥居・熊野修験との関わり等独特の信仰形態をもつ。

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◆宝登山神社 ヤマトタケルが東征の際、宝登山で山火事に合い、巨犬に助けられたという伝説から、火の神三神を祀り、巨犬を大口真神として祀る。

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◆秩父神社 創建1900年を超える関東屈指の古社。「秩父夜祭」で有名。

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せっかく秩父までやってきたなら、秩父三社(宝登山神社・秩父神社・三峯神社)だけとは言わず、もっと多くの寺社を廻りたい!というご要望も少なくないと思います。

秩父三社とともに、秩父のパワースポットとして真っ先に思い浮かぶのは、秩父三十四観音霊場http://www.chichibufudasho.com/だと思いますが、それには、相当な時間を要しますね。

当記事は、秩父三社以外の格式ある神社にスポットを当てて、1日でめぐることができる秩父三社+αの秩父パワースポットめぐりを考えたいと思います。

聖神社 和同開珎鋳造の契機となった神社

日本で最初の流通貨幣と言われる和同開珎ゆかりの神社ということから「銭神様」とも呼ばれ、金運隆昌の利益にあやかろうという参拝者も多い人気のある神社です。
慶雲5年(708年)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社と言われています。
境内石碑には「自然銅を主神」として祀ったことが記されています。
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椋神社 延喜式神名帳に掲載された武蔵国秩父郡の式内社

ヤマトタケル創建。延喜式神名帳に掲載された由緒正しき神社。
例祭の際に龍勢を打ち上げる龍勢祭りで有名。
明治17年(1884年)10月31日、秩父事件で決起集会が行われた場所としても広く知られる。
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今宮神社 弘法大師の手により神仏習合の寺院として栄えた古社

古来より霊泉の地として伊邪那岐大神・伊邪那美大神が祀られていた。
大宝年間(701年 – 704年)に、役小角が神仏混淆の考えに基づいて八大龍王を祀る『八大宮』を建立し、天長2年(825年)に弘法大師が大日如来を宮中八神と結びつけたことにより仏教寺院としての性格を強める。
天文4年(1535年)、流行する疫病への対策として京都の今宮神社から須佐之男命を勧請して今宮神社を創建。
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秩父三社(宝登山神社・秩父神社・三峯神社)+聖神社+椋神社+今宮神社の6社巡りルート

西武秩父駅往来 約4時間(参拝時間除く)115kmのルート

①宝登山神社 ②聖神社 ③椋神社 ④秩父神社 ⑤今宮神社 ⑥三峯神社

秩父三社+α

香取神宮の国宝「海獣葡萄鏡」からはじまる神鏡ギャラリー

香取神宮の蔵する海獣葡萄鏡は、千葉県の工芸品で唯一の国宝です。
海獣葡萄鏡
出典:http://www.katori-jingu.or.jp/

 直径29.6cm、縁の高さ2cm、重量4560g、白銅質の円鏡で、葡萄唐草を地紋とし、唐獅子のつまみを中心に獅子・馬・鹿・麒麟などの獣類や孔雀・鴛鴦・鳳凰・鶏などの鳥類、さらには昆虫などを配しています。

参)葡萄唐草文様
葡萄唐草

ご神体となる鏡と刀剣

鏡は刀剣とともに、神霊のご神体としての機能を果たしてきました。
三種の神器のひとつも八咫の鏡です。

同時に古代において、鏡は代表的な美術工芸品であり親愛の情を表す貢物として、寺社や墓(古墳)に奉納されてきました。

神鏡の意義に関しては、太陽のように光り輝く鏡を太陽神である天照大神(アマテラスオオカミ)に擬え、崇め奉るものと言われています。

『日本三銘鏡』

香取神宮の蔵する海獣葡萄鏡は、大山祇神社の神鏡と正倉院御物を合わせて『日本三銘鏡』と称されます。

大山祇神社

禽獣葡萄鏡 1面 – 唐時代、白銅円鏡。径26.8cm 縁厚1.7cm  国宝
大山祇神社は、114面の鏡を所蔵しているとされます。甲冑が武将である男性の奉納になるのに対し、鏡は、古代の女帝や河野一族の女性の奉納と伝わります。
663年の白村江の戦いの前に、斉明(さいめい)天皇が奉納したと伝わります。
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正倉院

正倉院には56面の鏡が伝わっています。平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)・平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)螺鈿細工の鏡は、平螺鈿背円鏡7面と平螺鈿背八角鏡2面、計9面が伝わります。
鏡の背面を異なる材質で飾った宝飾鏡です。径27cm前後。
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金銀山水八卦背八角鏡(きんぎんさんすいはっけはいのはっかくきょう)

径40.7cm。背面に銀の板を張り、主要な箇所には鍍金を施してあります。中央のつまみに蓬莱山を表し、その周囲に水鳥、亀、鶴、鳳凰、龍、孔雀、オシドリ、オウム、鹿などを配置しています。
外側には、五言律詩が刻まれており、次のように訳されます。

自分の一人ぼっちの姿に旅人として異国にある身を嘆き憂え、楽を奏で歌を歌っても唱和する者も無いまま幾年が経ったことか。今新たにこの心胆を照らし出す素晴らしい鏡が出来上がった。それにしてもこの鏡に映すに相応しいあの美しい人を遥かに思い出す。この鏡の中を舞う鳳凰は近くの林の棲み家へ帰りゆき、同じく龍は海を渡って来たばかり。この鏡をしっかりとしまいこみ故郷に帰る日まで待とう。そしてその日にはこれをひもとき愛しい人を照らし出そう

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黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)
銀製の宝飾鏡で背面が七宝※でできている。正倉院唯一の七宝製品であるが、古代において七宝自体の資料は極めて少ないため、七宝の起こりを伝える貴重な資料となっている。
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※七宝
一般的に、金属の生地にガラス質の釉薬を焼き付けた工芸品を、七宝焼と呼んでいます。
ひとつひとつ丹念に釉薬を施して焼き上げた七宝焼は、陶磁器や漆器には見られない華麗さと、手工芸の味とを併せ持っています。

国宝の鏡

国宝となっている鏡としては、日本三銘鏡である海獣葡萄鏡(香取神宮)、禽獣葡萄鏡(大山祇神社)の他に下記2面があります。

海磯鏡(法隆寺献納)2面(東京国立博物館)

法隆寺献納宝物に2面ある海磯鏡の1面。鏡背の文様には,樹木,獅子,禽獣,人物が点在する四岳と,波間に漂う舟上の釣人,小禽を表す。
光明皇后が天平8年(736)の聖徳太子の命日に法隆寺に納めたことが記されている。白銅製。
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出典:東京国立博物館

隅田八幡神社 人物画像鏡

5 – 6世紀頃製作の銅鏡。鏡背の48字の金石文は、日本古代史、考古学、日本語史上の貴重な資料である。国宝に指定されている。
大王号がいつ頃から使われたのかを知る手懸かりになるものとして注目される。 青銅製で径19.9cm。
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参考までに、非常に多く出土されている三角縁神獣鏡の一例です。
卑弥呼の鏡だとする説があるなど、多くの逸話を持ち、歴史的に重要な鏡型です。

三角縁神獣鏡

銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡。
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日本三大美祭り 秩父夜祭

秩父夜祭(ちちぶよまつり)は、毎年、12月1日から6日に開催される埼玉県秩父市の秩父神社の例祭です。
提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、冬の花火大会で知られます。

毎年、20万人の人手があります。

秩父夜祭は、埼玉県秩父市に鎮座する秩父神社の例祭です。

秩父神社の概要は以下。
◆秩父神社
創建1900年を超える関東屈指の古社。
日本神話「岩戸隠れ」と「天孫降臨」で指導的な役割を果たした知恵物であるオモイカネを祭神とするため、学問に御神徳が高い。
その南東に聳える武甲山を遙拝する聖地であり、神仏分離以前は、北極星・北斗七星を神座とする妙見菩薩を祀る妙見信仰の社として栄える。

国の重要無形民俗文化財に指定。
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1.京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられます。

京都の祇園祭(八坂神社)

飛騨の高山祭(春の日枝神社例祭「春の山王祭」と、秋の櫻山八幡宮例祭「秋の八幡祭」の総称)

2.真夜中に神社と武甲山の間にある御旅所で神事を執り行うというのが最大の特徴

最高潮は、大祭の12月3日午後6時半頃にに秩父神社を出発した御神幸行列と6台の笠鉾・屋台が御旅所下の団子坂を笠鉾・屋台が曳き上げられる頃
同時に、煙火町会による奉納花火や観光協会主催の花火の打ち上げも行われます。

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出典:http://navi.city.chichibu.lg.jp/

3.同一の行事に関連して国の重要有形民俗文化財および重要無形民俗文化財の両方に指定されているものは日本で5例のみで、そのうちの一つです。

  笠鉾・屋台は、1962年(昭和37年)に重要有形民俗文化財にしてされており
  1979年(昭和54年)に「秩父祭の屋台行事と神楽」として重要無形民俗文化財に指定されています。
  ※例大祭の付け祭りに公開される笠鉾や屋台の曳行(えいこう)と、曳行のための秩父屋台囃子(ちちぶやたいばやし)、屋台上の秩父歌舞伎や曳踊り等の一連の行事

4.秩父夜祭はいつ始まったのか?

一説には、知知夫国に知知夫彦が大神を祭った秩父神社の創建と同時期と言われ
また、一説には、武甲山への信仰としてそれ以前から行われていたのではないかとも言われます。

5.秩父夜祭の言い伝えとして以下のことが言われています。

1)一説には、御田植祭で秩父市中町の秩父今宮神社の境内にある武甲山から湧き出た水(水幣)を、その年の収穫を祝うと同時に武甲山に還す祭と伝えられている。

秩父今宮神社
秩父今宮神社

秩父神社 御田植祭とは? 

境内を神田に見たて、田植歌を歌いながら田植えの所作を演じ豊作を祈願するものである。
現在は4月4日午後1時に御田植祭が始まる。本殿にて祭典が行われた後、笛、太鼓の音とともに御神幸行列は秩父市中町に鎮座する今宮神社へと向かい、今宮神社にて水乞いの神事が行われる。
そして水幣を奉持して再び秩父神社に戻り、鳥居下に置かれたワラで作った竜神にこの水幣を差し立て神田に水を満たす。拝殿で配膳の儀が行われ、その後境内で白装束の神部が「苗代づくり」から「本田づくり」まで稲作の作業過程を演じ、田植歌をうたいながら田植えの所作が演じられる。餅が入った供物が参列者に配られ神事の終了となる。
2009年(平成21年)3月17日、埼玉県の無形民俗無形文化財に指定された。

2)一説には、武甲山の男神(蛇神・蔵王権現)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が年に一度の逢瀬を楽しむというものである。

最も知れ渡っている有名な伝説は武甲山の男神(蛇神・蔵王権現)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が年に一度の逢瀬を楽しむというものである。男神には正妻がいて、神幸路の途中にある番場町諏訪神社の八坂刀売命であるとされる。2日に行われる「番場町諏訪渡り」は、年に1度の逢瀬を楽しむ許可を求める祭礼だといわれている。また、御神幸祭のときには諏訪神社の前を通過する際、各町会の山車は正妻の女神を怒らせないように例外的に屋台囃子の演奏を止め数メートルすすむ。この風習も諏訪渡りと呼ばれている。