鹿島神宮

鹿島神宮 「国譲り」を実現させたタケミカヅチを祭神とする勝負・武道の聖地
鹿島神宮 縮小

概要

関東・東北に約600社ある鹿島神宮の総本山。常陸国一の宮。
紀元前に創建したと言われる関東屈指の古社であり、宮中の四方拝で遥拝される等日本有数の高格の社。
利根川を挟んで対面する香取神宮とゆかりが深く東国三社を形成する。
やる気・気力・体力などパワーを授かる神社と言われる。
Kashima-jingu_roumon

基本情報

◆所在地 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
◆公式ホームページ http://kashimajingu.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
常陸国一宮
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
◆創建 (伝)初代神武天皇元年
◆札所等 東国三社

祭神

武甕槌(タケミカヅチ)

タケミカヅチのエピソード

◆出自
イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)の首を切り落とし、剣についた血が岩に飛び散って生まれた3神のうちの1神と言われる。

◆国譲り
大国主の次男「タケミナカタ」との力競べに勝利し、国譲りを実現させた。

◆イワレビコ
神武東征の際、危機に陥ったイワレビコ(神武天皇)を助けるために、タケミカヅチが、進呈し、その霊力によって難局を乗り切ったと

香取神宮との一対性

下総国一宮の香取神宮とは古来深い関係にあり、利根川をはさんで対面し一対の存在にある。 
共に、国譲りで活躍した祭神を持ち、以下のような共通点や一対性がある。

香取神宮(千葉県香取市) 下総国一宮。鹿島神宮とは深い関係にあり、古来並び称される。

香取神宮(千葉県香取市)
下総国一宮。鹿島神宮とは深い関係にあり、古来並び称される。

「神宮」の呼称

『延喜式』神名帳(平安時代の官社一覧)では、「神宮」と表記されたのは大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮の3社のみであった。

鹿島香取使(かしまかとりづかい)

鹿島・香取神宮には、毎年朝廷から勅使として「鹿島香取使」の派遣があった。
地方の神社において、毎年の派遣があった鹿島・香取両神宮は極めて異例であった。
※定期的な勅使派遣は両神宮のほかは宇佐神宮(6年に1度)にしかない。

蝦夷討伐の拠点

古代、鹿島・香取の鎮座する利根川下流域には、霞ケ浦を含む香取海という巨大な内海が広がっており、ヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能した。
両神宮は、その拠点となったため、武神としての神格を一層高めた。
珍しい北面した社殿も蝦夷を意識しての配置という説が言われる。(他の説もある。)

神領

鹿島・香取両神宮では、それぞれ常陸国鹿島郡・下総国香取郡が神郡、すなわち郡全体を神領とすると定められていた。
神郡全体を有した神社の例は少なく、いずれも軍事上・交通上の重要地であったからとされる。

藤原氏と春日大社への分霊

両社とも藤原氏(中臣氏)の氏神として強い崇敬を受ける。
藤原氏の氏社として創建された奈良の春日大社では、鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に分霊されて祀られ、藤原氏の祖神たる天児屋根命(第三殿)よりも上位に位置づけられた。

春日大社(奈良県奈良市) 藤原氏の氏社。その創建に際して武甕槌神は鹿島から春日へ勧請され、その第一殿に祀られた。

春日大社(奈良県奈良市)
藤原氏の氏社。その創建に際して武甕槌神は鹿島から春日へ勧請され、その第一殿に祀られた。

※藤原氏祖の藤原鎌足もまた常陸との関係が深く、常陸国出生説もある。鎌足神社(鹿嶋市)はその出生地と伝えられる。

鎌足神社(鹿嶋市宮中) 藤原鎌足の出生伝承地。

鎌足神社(鹿嶋市宮中)
藤原鎌足の出生伝承地。

要石

鹿島神宮は、形状は凹型。香取神宮には凸型の要石があり、対となり、大鯰を押さえつけているとされ、地震からの守り神として信仰された。
地上では直径30センチメートル・高さ7センチメートルほどだが、地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている。
『水戸黄門仁徳録』によれば、水戸藩主徳川光圀が7日7晩要石の周りを掘らせたが、穴は翌朝には元に戻ってしまい根元には届かなかったという。

要石

要石

要石の形状

要石の形状

「鹿島要石真図」 江戸時代の鯰絵。上が要石を祀る鹿島神宮、下が剣をもち大鯰を抑える武甕槌神。

「鹿島要石真図」
江戸時代の鯰絵。上が要石を祀る鹿島神宮、下が剣をもち大鯰を抑える武甕槌神。

エピソード

創建

鹿島神宮は、神武天皇元年を創建年としている。

武人からの崇敬

鹿島神宮は武神を祀るため、中世以降も神威は維持され、歴代の武家政権や大名からの奉幣や所領の寄進が多く確認される。
源頼朝から多くの社領が寄せられ、慶長10年(1605年)には徳川家康により本殿(現・摂社奥宮の社殿)が造営された。
元和5年(1619年)には徳川秀忠により現在の社殿一式、寛永11年(1634年)には徳川頼房により楼門等が造営された。
一方、武家による神宮神職への進出や神領侵犯も度々行われていたという。

現代でも武道家からの信仰は強く、道場には「鹿島大明神」・「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対で掲げられることが多い。

鹿が神使

「国譲り」の際の伝令が、鹿によって行われたことから鹿を神使とし、境内に鹿園をもつ。
春日大社の鹿は、鹿島から贈られたもの。

鹿園

鹿園

国宝 韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」

宝物殿には、日本最古最大の直刀「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」があり、国宝に指定されている。
大刀国宝 黒漆平文

日本神話「国譲り」においてタケミカヅチが、葦原中国(あしはらのなかつくに)を制圧するために力を発揮し
神武東征の際、危機に陥ったイワレビコ(神武天皇)を助けるために、タケミカヅチが、進呈し、その霊力によって難局を乗り切ったという由緒ある名刀です。
ただし、鹿島神宮に納められている「韴霊剣」は、二代目(複製)だというのが定説になっています。(鹿島神宮は、複製であることを否定しています。)
※オリジナルは、石上神宮(奈良県天理市)に遷され祀られたとされたとされる。

石上神宮(奈良県天理市) 武甕槌神から神武天皇に授けられた韴霊剣を祀る。鹿島神宮側では、これを初代とする[92]。

石上神宮(奈良県天理市)
武甕槌神から神武天皇に授けられた韴霊剣を祀る。鹿島神宮側では、これを初代とする[92]。

諏訪大社との関係

当社祭神「タケミカヅチ」が、国譲りで戦った「タケミナカタ」を祭神とする諏訪大社は少なからぬ因縁がある。
両社は、ほぼ同緯度に鎮座している。

レイライン

皇居~明治神宮~富士山~伊勢神宮~吉野山~高野山~剣山~高千穂へと一直線に続く、レイライン(直線上に並ぶ聖地)の東端に位置する。
鹿島神宮の東一の鳥居(太平洋に面した明石浜にあります)はその入口、「神々の通り道の東門」にあたる重要な位置にある。

鹿島神宮樹叢

境内の広さは約70ヘクタールである。このうち約40ヘクタールは鬱蒼とした樹叢で、「鹿島神宮樹叢」として茨城県指定天然記念物に指定されている。樹叢には約800種の植物が生育しており、神宮の長い歴史を象徴するように巨木が多く、茨城県内では随一の常緑照葉樹林になる。

境内の社叢 (茨城県指定天然記念物)

境内の社叢
(茨城県指定天然記念物)

日本三大楼門のひとつ

阿蘇神社・筥崎宮とともに日本三大楼門のひとつとされる。国の重要文化財に指定。
寛永11年(1634年)、初代水戸藩主の徳川頼房の命による造営扁額「鹿島鳥居」は東郷平八郎の書になる。

楼門(国の重要文化財) 「日本三大楼門」の1つ。

楼門(国の重要文化財)
「日本三大楼門」の1つ。

日本最大級の水上鳥居

一の鳥居は水上鳥居としては日本最大級(高さ18.5メートル、幅22.5メートル)

西の一の鳥居(鹿嶋市大船津) 鰐川(北浦)の川辺。

西の一の鳥居(鹿嶋市大船津)
鰐川(北浦)の川辺。

御手洗池

御手洗池(みたらしいけ)は、神宮境内の東方に位置する神池。潔斎(禊)の地。古くは西の一の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進み、潔斎をしてから神宮に参拝したと考えられており、「御手洗」の池名もそれに由来するとされている。池には南崖からの湧水が流れ込み、水深は1メートルほどであるが非常に澄んでいる。この池に大人が入っても子供が入ってもその水深は乳を越えないといわれ、「鹿島七不思議」の1つに数えられている。

御手洗池

御手洗池

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鹿島神宮のみどころまとめ
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鹿島神宮の国宝「韴霊剣」に纏わる話
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