大宮氷川神社

氷川神社 初詣に200万人以上が参拝し天皇家からの崇敬厚い埼玉一の大社
氷川神社 拝殿

概要

東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社.
宮中の四方拝で遥拝される一社。
式内社(名神大社)、武蔵国一宮または三宮、勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
初詣の参拝者数は、200万人以上が訪れ全国10位以内に数えられる。

氷川神社 楼門

基本情報

◆所在地 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目407番地
◆公式ホームページ http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
武蔵国一宮または三宮
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
◆創建 (伝)第5代孝昭天皇3年
◆札所等 –

祭神

現在の主祭神は以下の3柱。
須佐之男命 (すさのおのみこと)
稲田姫命 (いなだひめのみこと)スサノオによってヤマタノオロチから助けられたスサノオの妻神
大己貴命 (おおなむちのみこと)スサノオの子孫 芦原中国を平定した大国主神

エピソード

創建

第5代孝昭天皇3年4月の創建(社伝)。
鎮座地一帯は、出雲の氏族が須佐之男命を奉じてこの地に移住し開拓した地である。
この一帯は社名の「氷川」も出雲の「簸川」(現在の斐伊川)に由来するという説がある。

見沼の水神

神社の境内は見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)の畔に立ち、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。
現在の神池は、見沼の名残である。

レイライン

1.富士山と筑波山を結んだ線と、浅間山と冬至の日の出を結んだ線の交差地点に位置する。

2.大宮の氷川神社・中川の中氷川神社(現 中山神社)・三室の氷川女体神社が浅間山と冬至の日の出の線上に一直線に並ぶ。
そのため、この三社が、一体の氷川神社を形成していたという説がある

初詣

埼玉県周辺の広域から参拝者を集め、正月三が日の初詣の参拝者数(警察調べ)は全国10位以内に数えられる。
特に全国的に初詣客が増加した2008年(平成20年)以降は連年200万人以上が訪れている。

門客人神社

出雲族移住の前に先住していた地主神「アラハバキ」が、「客人神」として祀られている摂社。
日本武尊(ヤマトタケル)が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになったという伝説が残されている。
このことから本地域を「足立」と称するようになったとされる。
320px-氷川神社_境内門客人神社

平貞盛の戦勝祈願

平安時代後期、平貞盛が平将門の乱において当社で戦勝を祈願し乱を平定したことから、関東地方の武士に幅広く信仰され、荒川流域に数多くの分社が建てられ、武蔵国中に広がった。
治承4年(1180年)には源頼朝が土肥実平に命じ社殿を再建して社領3000貫を寄進、建久8年(1197年)には神馬神剣を奉納している。

徳川幕府からの崇敬

徳川家康が関東に入ると、文禄5年(1596年)8月に関東郡代伊奈忠次を奉行として社頭を造営した。
江戸時代には幕府から社地三百石が寄進されていた。
寛文7年(1667年)3月には、阿部豊後守を奉行として社殿を建立した。

天皇家からの崇敬

明治天皇は、東京入都の4日目に当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と定め、関東の神社の中で最初に親祭を行った 。
例祭には勅使の参向があり、宮内庁楽師による歌舞が奉納される。

歴代天皇は、複数回の参拝を行っている。

天皇の参拝記録

明治天皇は1870年(明治3年)
昭和天皇
1917年(大正6年 皇太子時代)
1934年(昭和9年)
1967年(昭和42年 夫妻で)

平成天皇
1963年(昭和38年 皇太子時代)
1987年(昭和62年 皇太子時代)
1993年(平成5年 夫妻にて)

大宮公園

神域である社有林が開かれて、埼玉県で最初の近代公園「大宮公園」として整備された。

招魂社

1929年(昭和4年)9月には埼玉縣招魂社が境内に建立され、県内の戦死者2000余柱が祀られた。
招魂社は1939年(昭和14年)3月に分離して埼玉県護国神社となり、同4月には国指定護国神社となった。

明治神宮の大鳥居移設

1966年(昭和41年)7月22日に明治神宮の大鳥居(第二鳥居(木造鳥居では国内最大級))が落雷によって破損した。
落雷した鳥居は、氷川神社にに移設され、二の鳥居となった。
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一宮・三宮に関する議論

武蔵国内における氷川神社の位置付けには、一宮と三宮の2説がある。
もうひとつ一宮と比定されるのは、小野神社である。

大宮神社を一宮とする史料
『大日本国一宮記』(室町時代)
『延喜式神名帳』には「氷川神社:名神大社、小野神社:小社」と記されている(平安時代)

大宮神社を三宮とする史料(この場合、一宮は小野神社に比定される)
『神道集』(南北朝時代)

上記から平安時代に社格の逆転が見られ、室町時代以降に当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したと主張し、当社は「武蔵一宮 氷川神社」の社標を掲げている。

武蔵国総社の大國魂神社

武蔵国総社の大國魂神社(六所宮)では国内の一宮から六宮までを「武州六大明神」として祀っているが、ここでは「一宮:小野神社、三宮:氷川神社」を公式としている。
現在も大國魂神社の例大祭(くらやみ祭・武蔵国府祭)の祈祷に氷川神社の神官が参じている。

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