秩父地方と秩父三社

寺社・祭りの多い秩父地方

埼玉県秩父地方は、寺社仏閣や祭りの非常に多い(年400を超えると言われる)地域として知られています。

西国三十三所、坂東三十三箇所と併せて日本百観音を形成する秩父札所巡り(秩父三十四箇所)は有名で、全国的にも有名な大祭・奇祭が目白押しです。

特に、秩父神社の秩父夜祭は、日本三大曳山祭・日本三大美祭の1つとされ、2日間で数十万人を集める大規模なものです。

そして、歴史的にも、ヤマトタケル、平将門の伝説が数多く残り、武田信玄には寺社を焼き尽くされる(信玄焼き)等非常に因果の多い地域です。

秩父地方に寺社が多い理由

なぜ、秩父は宗教的・歴史的縁の多い地域になったのでしょうか?

定説はなく、どれも十分に反論の余地がありますが、以下の理由が考えられます。

1.銅等鉱物資源が豊富であったため、古来より権力者との結びつきが強かった。
708年(和銅元年) 和同開珎の鋳造
武蔵国(現在の秩父市黒谷)から和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出した事を記念して、「和銅」に改元するとともに、日本最古の貨幣とされる和同開珎が作られたとされる。

2.名馬の産地であったため、武家政権との結びつきが強かった。

3.荒川の源流に位置するため、水源が豊富であったとともに、情報・物流の要所となった。

4.名山に囲まれた地域であるため、修験道場のステージとして機能した。

5.大和政権の蝦夷攻略の拠点として地政学的な要地に位置した。

秩父三社めぐり概要

当記事は、秩父三十四箇所とともに、秩父の聖地巡りとして知られる秩父三社巡りの概要を説明したいと思います。

秩父三社とは、秩父地区の鎮座する関東地区有数の古社三社(三峯神社・宝登山神社・秩父神社)めぐりです。

秩父三社(宝登山神社〜秩父神社〜三峯神社 片道約50km  往復100km)
秩父三社
出典:http://www.navitime.co.jp/

三峯神社と宝登山神社は、ヤマトタケルの創建で、ニホンオオカミを神格化した大口真神(おおぐちまかみ)を祀っているという共通点があります。
一方、秩父神社は、北極星・北斗七星を神座とする妙見菩薩を祀る妙見信仰の社として有名です。

◆三峯神社

関東有数の古社。標高1102m。雲取山・白岩山・妙法ヶ岳の3つの峰からその名がついたと言われる。

ヤマトタケルが東征の際、イザナギ・イザナミの国造りを偲んで創建。イザナギ・イザナミを主祭神とし、造化三神と天照大神を配祀神とする豪華な祭神の布陣。
神仏習合時代は、修験道場として知られ、役小角がはじめて修業をし、空海が十一面観音像を安置したとされる。
狼信仰・三ツ鳥居・熊野修験との関わり等独特の信仰形態をもつ。
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出典:wikipedia

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出典:wikipedia

◆宝登山神社

宝登山山麓に鎮座。(奥社は山頂)
参拝者は、年間100万余を数える。
ヤマトタケルが東征の際、宝登山で山火事に合い、巨犬に助けられたという伝説から、火の神三神を祀り、巨犬を大口真神として祀る。
山名もこの逸話から「火止山」となり、転じてのちに「宝登山」となったという。
火災盗難よけ・諸難よけの守護神としての御神徳が高い。

神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)
大山祗神 (おおやまづみのかみ)
火産霊神 (ほむすびのかみ)

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出典:wikipedia


宝登山神社 (トリップアドバイザー提供)

◆秩父神社

創建1900年を超える関東屈指の古社。
日本神話「岩戸隠れ」と「天孫降臨」で指導的な役割を果たした知恵物であるオモイカネを祭神とするため、学問に御神徳が高い。
その南東に聳える武甲山を遙拝する聖地であり、神仏分離以前は、北極星・北斗七星を神座とする妙見菩薩を祀る妙見信仰の社として栄える。
「秩父夜祭」は、毎年、20万人の人手があり、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大美祭のひとつに数えられる。
国の重要無形民俗文化財に指定。
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出典:wikipedia

日本三大美祭り 秩父夜祭イメージ
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出典:wikipedia

東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)と一緒にめぐりたいスポットまとめ

東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)は、聖地巡礼の定番コースとして知られていますが、どうせ遠くまで行くなら「他の聖地もめぐりたい!」ということで、東国三社と共にめぐりやすいスポットをご紹介させていただきます。
鹿島神宮の鳥居

東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)の周辺巡礼スポット

1.小江戸 佐原

香取神宮から3.5km 徒歩約11分
歴史的な建造物が残る町並みで伊能忠敬の旧宅などがあります。
小江戸 佐原

2.側高神社(そばたかじんじゃ)

香取神宮から5km 徒歩約14分
神武天皇期、香取神宮と同時に創建されたという香取神宮の格式ある摂社。
造化三神であるタカミムスビ・カミムスビを主祭神としています。
側高神社

3.大戸神社

香取神宮から9km 徒歩約22分
公式ホームページ: http://homepage3.nifty.com/ootojinjya/index.html
祭神: 天手力男命(あまのたぢからおのみこと)

香取神宮の摂社。東国三社のあと一つは、息栖神社ではなく、この大戸神社ではないかという説もあります。十二代 景行天皇40年(111年)ヤマトタケル東征の時、蝦夷征討祈願のため勧請。
大戸神社

4.成田山新勝寺

香取神宮から28km 徒歩約30分
公式ホームページ:http://www.naritasan.or.jp/

真言宗智山派の大本山。明治神宮に次ぐ初詣客数(300万人弱)を誇る。本尊は不動明王。
成田山新勝寺

5.大杉神社

鹿島神宮から30km 車で約40分。
公式ホームページ:http://oosugi-jinja.or.jp/

大杉神社総本社。「あんばさま」といわれる。香取海の航路標識であるとともに、村の守護神として信仰されていた巨杉をそのルーツとする。神社は「日本唯一の夢むすび大明神」と称している。天狗信仰。
大杉神社

6.笠間稲荷神社

鹿島神宮から70km 車で約1時間半 ちょっと遠いですね! 
公式ホームページ:http://www.kasama.or.jp/

日本三大稲荷のひとつで、茨城県第一位の参拝数(年間350万人)を誇る。
笠間稲荷神社

息栖神社

息栖神社 水上交通の神を祀る東国三社の一社
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概要

息栖神社(いきすじんじゃ)は、茨城県神栖市息栖にある神社。国史見在社で、旧社格は県社。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮とともに東国三社の一社である。
一の鳥居の両側には「日本三霊泉」の1つとされる「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる2つの井戸がある。
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基本情報

◆所在地 茨城県神栖市息栖2882
◆公式ホームページ http://www.kamisu-kanko.jp/power/
◆社格等
国史見在社
旧県社
◆創建 (伝)第15代応神天皇年間
◆札所等 東国三社

祭神

主祭神
久那戸神 (くなどのかみ、岐神)
社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神という。

相殿神
天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)
『古事記』では、建御雷神の副神として葦原中国平定に赴いたと記される。
住吉三神 (すみよしさんしん)
上筒男神、中筒男神、底筒男神の3柱の総称。

エピソード

創建

社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという。その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える。

社名

元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記されるように、当社は「おきす」と呼ばれていた。
この「おきす = 沖洲」という古称から、香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神であると考えられている。

水上交通の神

上記社名の逸話とともに、祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であることからも水上交通の神であると言われる。

東国三社

当社は古くから香取神宮・鹿島神宮と並んで「東国三社」と称されたといわれる。
江戸時代には、「下三宮参り」と称して関東以北の人々が伊勢神宮参拝後に東国三社を巡拝する慣習があったと言われる。
参拝客が利用する息栖の河岸は利根川水運の拠点として江戸時代から大正時代まで栄えたという。

鹿島神宮との関係

地理的な関係から鹿島神宮の影響が強く、当社は同宮の摂社とみなされていた。
鎌倉時代の『鹿島社例伝記』や室町時代の『鹿島宮年中行事』から、鹿島神宮と当社の密接な関係性が指摘される。
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日本三霊泉「忍潮井(おしおい)」

一の鳥居の両側には「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる2つの井戸があり、「日本三霊泉」の1つという。
社伝では神功皇后3年に造られたとし、日川からの移転に際して後から自力でついてきたという。
井戸はそれぞれ「男瓶」「女瓶」という名の2つの土器から水が湧き出ているが、現在の井戸は昭和48年(1973年)5月に河川改修のため移転している。

忍潮井(男瓶)

忍潮井(男瓶)

忍潮井(女瓶)

忍潮井(女瓶)

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神話「国譲り」と東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)について
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出雲大社

国譲りの条件として造営された「大国主神」の神殿
出雲大社

概要

「国譲り」の条件として「大国主神」が神々に造営を願い出たとされる日本屈指の大神殿。
創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家の子孫が祭祀を司る。
宗教法人出雲大社教の宗祠。

拝殿
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基本情報

◆所在地 島根県出雲市大社町杵築東195
◆公式ホームページ http://www.izumooyashiro.or.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
出雲国一宮
官幣大社
勅祭社
別表神社
◆創建 神代とされる
◆札所等 出雲國神仏霊場1番

祭神

大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)

芦原中国を平定し、天津神(天照大神)に譲った国津神
国津神の祖スサノオの子孫。
因幡の白兎の逸話でも有名。

当社は、国譲りの見返りとして神々によって造営されたとされる。

相殿神
御客座五神
天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神

エピソード

創建

大国主神は、大きな社殿の造築を国譲りの条件とした。その社殿が、出雲大社だとされる。
天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。

日本神話などにその伝承が語られている。

『古事記』
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。

『日本書紀』
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。

『出雲国風土記(出雲郡杵築郷)』
所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。

『出雲国風土記(楯縫郡)』
神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。

出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。

神在月(神無月)

神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり、神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 – 17日)。
そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになった。
※留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではない。

祭神の変化

創建〜平安
大国主大神
出雲国造神賀詞に、「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載がある。

中世〜17世紀
素戔嗚尊(スサノオ)
神仏習合による天台宗の鰐淵寺の影響により、中世出雲神話に基づき、スサノオを祭神とした。

14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記された。
1666年(寛文6年)毛利綱広が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。

銅鳥居銘文
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17世紀〜
大国主大神
仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、記紀に沿って大国主大神に復した。
同時に、出雲国造家により神仏分離・廃仏毀釈が行われた。

本殿

現在の本殿は、1744年(延享元年)に造営で高さは約24mと社殿としては桁違いの大きさ。国宝。
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平安時代には、現状の倍(約48m)で階段の長さも100mあったと伝えられる。(本居宣長『玉勝間』)
事実ならば、東大寺大仏殿や平安京大極殿より大きかったということになる。

さらに、それ以前には、さらにその倍(約96m)あったという伝承もある。

高さ48mの神殿も物語の世界という見方が強かったが、近年、巨大な柱(宇豆柱 1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発見され実話だったという見方が再燃した。

古代の本殿の模型
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国立公文書館所蔵「出雲大社絵図」(明治8年頃作成)
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大注連縄

神楽殿の大注連縄は、長さ13m、周囲9m、重さ5tで日本トップクラスのサイズ
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4つの鳥居

一の鳥居 
当時日本最大
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二の鳥居(勢溜の大鳥居) 
みんなで集まった広場(550坪のイベントスペース)がある。
相撲(雷電為右衛門)や歌舞伎が行われた。
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三の鳥居
三の鳥居

銅鳥居
触ると金運UPするという四の鳥居
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出雲大社教

香取神宮

香取神宮  鹿島神宮とともに武人の崇敬を受ける日本屈指の古社
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概要

歴代の武家政権からは武神として崇敬され、現在も武道分野からの信仰が篤い神社である
鹿島神宮、息栖神社とともに東国三社の一社。
式内社(名神大社)、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。下総国一宮 宮中の四方拝で遥拝される一社。
海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が国宝に指定。建造物では江戸時代の本殿・楼門、美術工芸品では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の重要文化財に指定されている。
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基本情報

◆所在地 千葉県香取市香取1697
◆公式ホームページ http://www.katori-jingu.or.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
下総国一宮
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
◆創建 (伝)初代神武天皇18年
◆札所等 東国三社

祭神

経津主大神(ふつぬしのおおかみ)

出自
イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)を斬った際、剣から滴る血が固まってできた岩群がフツヌシの祖であるとしている。

国譲りでの活躍
天孫降臨に先立つ葦原中国平定(国譲り)においてタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)とともに出雲へ派遣され、大国主命と国譲りの交渉を行なったといわれる。(日本書紀)
なお、『古事記』ではフツヌシは登場しない。

武神・軍神
下記の理由により武神・軍神の性格をもつと言われる。
①国譲りでの活躍
②フツヌシの「フツ」が刀剣の鋭い様を表した言葉であるといわれる。

鹿島神宮との一対性

常陸国一宮の鹿島神宮とは古来深い関係にあり、利根川をはさんで対面し一対の存在にある。 
共に、国譲りで活躍した祭神を持ち、以下のような共通点や一対性がある。

鹿島神宮
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「神宮」の呼称

『延喜式』神名帳(平安時代の官社一覧)では、「神宮」と表記されたのは大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮の3社のみであった。

鹿島香取使(かしまかとりづかい)

鹿島・香取神宮には、毎年朝廷から勅使として「鹿島香取使」の派遣があった。
地方の神社において、毎年の派遣があった鹿島・香取両神宮は極めて異例であった。
※定期的な勅使派遣は両神宮のほかは宇佐神宮(6年に1度)にしかない。

蝦夷討伐の拠点

古代、鹿島・香取の鎮座する利根川下流域には、霞ケ浦を含む香取海という巨大な内海が広がっており、ヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能した。
両神宮は、その拠点となったため、武神としての神格を一層高めた。

神領

鹿島・香取両神宮では、それぞれ常陸国鹿島郡・下総国香取郡が神郡、すなわち郡全体を神領とすると定められていた。
神郡全体を有した神社の例は少なく、いずれも軍事上・交通上の重要地であったからとされる。

藤原氏と春日大社への分霊

両社とも藤原氏(中臣氏)の氏神として強い崇敬を受ける。
藤原氏の氏社として創建された奈良の春日大社では、鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に分霊されて祀られ、藤原氏の祖神たる天児屋根命(第三殿)よりも上位に位置づけられた。

春日大社(奈良県奈良市) 藤原氏の氏社。その創建に際してフツヌシは香取から春日へ勧請され、その第二殿に祀られた。

春日大社(奈良県奈良市)
藤原氏の氏社。その創建に際してフツヌシは香取から春日へ勧請され、その第二殿に祀られた。

要石

香取神宮には凸型。鹿島神宮は、形状は凹型。の要石があり、対となり、大鯰を押さえつけているとされ、地震からの守り神として信仰された。
地上では直径30センチメートル・高さ7センチメートルほどだが、地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている。
『水戸黄門仁徳録』によれば、水戸藩主徳川光圀が7日7晩要石の周りを掘らせたが、穴は翌朝には元に戻ってしまい根元には届かなかったという。

要石の祠

要石の祠

要石の形状

要石の形状

エピソード

創建

古代に香取神宮は鹿島神宮とともに大和朝廷による東国支配の拠点として機能したとされるため、朝廷が拠点として両社を祀ったのが創祀と見る説がある。これに対して、その前から原形となる祭祀が存在したとする説もある。
社伝では、初代神武天皇18年の創建と伝える。黎明期に関しては明らかでないが、古くは『常陸国風土記』(8世紀初頭成立)[原 8]にすでに「香取神子之社」として分祠の記載が見え、それ以前の鎮座は確実とされる。

武将からの崇敬

古代には、藤原氏の氏神として朝廷から崇敬されたが、中世、武家の世となってからも武神として神威は維持され、武将からも信仰された。

中世には、源頼朝、足利尊氏の寄進。
江戸時代には、徳川家康の下、天正19年(1591年)に1,000石が朱印地として与えられるなど、江戸幕府からも崇敬を受けた。
慶長12年(1607年)に大造営、元禄13年(1700年)に再度造営が行われた。
現在の本殿・楼門・旧拝殿(現・祈祷殿)は、この元禄期の造営によるものである。

一方、中世には、千葉氏を始めとする武家による神領侵犯も度々行われていた。

式年遷宮

平安・鎌倉期には、20年に1度の式年遷宮が行われた。
南北朝期以降には、記録がない。

社殿

元禄13年(1700年)に江戸幕府5代将軍の徳川綱吉の命により造営が行われ、この時の本殿始め主要社殿が現在に伝わっている。
主要社殿の形式は、大修築前後とも本殿・幣殿・拝殿が連なった権現造。

本殿は、元禄13年(1700年)の造営。三間社流造、檜皮葺で、南面している。この形式の社殿としては最大級の規模である。
通常の両流造では本殿内の神座が身舎に設けられるのに対して、背面庇にあるという異例の形式が指摘される。

現在の本殿の形式は、かつて香取神宮に存在した「アサメ殿(あさめどの)」の形式を伝えるものとされる。
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アサメ殿(あさめどの)

普段はフツヌシの祖父母神を祀る末社で、
正神殿(本殿)の式年遷宮の際にその仮殿(かりどの:神体を仮安置する社殿)として使用されていた。
その間には、フツヌシの祖父母神の安置のために仮アサメ殿も設定されたという。

正神殿は鎌倉時代の元徳2年(1330年)造営のものを最後として造られなくなったと見られており、以後の本殿はこのアサメ殿の形式を継承したと考えられている。

「亀甲山(かめがせやま)」と称される境内地

香取神宮の鎮座する丘は、中央が低く周囲が高いという形状から「亀甲山(かめがせやま)」と称されている。
神宮境内は神域とされ手付かずの自然が残されているため、多数のスギの巨木や、イヌマキ・モミ・クロマツの大木が生育している。
高木層のみでなく亜高木層・低木層・林床にも多数の草木が生育しており、スギの老令林としては県内でも有数なものであるとして、千葉県指定天然記念物に指定されている。

楼門

楼門は、元禄13年(1700年)の造営。三間一戸で、入母屋造。屋根は現在銅板葺であるが、当初は栩葺(とちぶき)であった。
純和様の様式であり、壁や柱は丹塗である。楼門内にある随身像は俗に「左大臣・右大臣」と称されるが、正面向かって右像は武内宿禰、左像は藤原鎌足と伝えられている。
また、楼上の額は東郷平八郎の筆である。この楼門は、神宮のシンボル的な建物に位置づけられている。
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第一摂社 側高神社

鎮座地:香取市大倉(位置)
祭神:不詳
例祭:12月7日
「そばたかじんじゃ」。境外摂社で、旧郷社。古来「第一摂社」と称される関係の深い神社であり、
本宮同様に神武天皇18年の創建と伝える。祭神は古来神秘とされており、今なお明らかではない。
当社には、香取神の命で側高神が陸奥神から馬を奪って馬牧をなしたという伝承が残り、蝦夷征討との関係性や香取神宮の役割が指摘される。
本殿は江戸時代初期の造営で県の文化財に、ひげなで祭は香取市指定無形民俗文化財に指定されている。

側高神社 香取神宮の第一摂社。

側高神社
香取神宮の第一摂社。

境外摂社 大戸神社

鎮座地:香取市大戸(位置)
祭神:天手力男神(あめのたじからおのかみ)
例祭:4月7日
「おおどじんじゃ」。境外摂社で、旧県社。景行天皇40年の創建と伝える。羅龍王面・納曽利面3面、和鏡3面が千葉県指定有形文化財に指定されている。

大戸神社

大戸神社

御田植祭

4月第1土曜・日曜に行われる。1日目は耕田式、2日目には田植式が行われ、いずれも大祭。神宮の斎田で田植を行い、五穀豊穣を祈願する祭。史料では明徳2年(1391年)には既に見え、祭は「日本三大御田植祭」にも数えられている

御田植祭

御田植祭

 国宝 海獣葡萄鏡

海獣葡萄鏡 1面(工芸品)
直径29.6cm、縁の高さ2cm、重量537.5g、白銅製[18]。中国・唐時代の作。
鏡背は葡萄唐草の地文様の上に獅子のほかさまざまな鳥・獣・虫を表す。鏡名の「海獣」は、鏡背中心部の鈕(つまみ)に表された狻猊(さんげい)を指す。狻猊は中国の伝説上の生物である。正倉院の南倉には本鏡と瓜二つの銅鏡があり、香取神宮鏡は正倉院の鏡と全く同一の鋳型から造った同笵鏡ではないが、両者は関係があると推定される。香取神宮に伝来した経緯は未詳。宝物館内に展示。昭和28年3月31日指定。
海獣葡萄鏡

重要文化財(国指定)

本殿(附 棟札1枚、銘札1枚、海老錠3箇)・楼門(計2棟)(建造物)
本殿は昭和52年6月27日指定、昭和58年12月26日に楼門を追加指定。
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古瀬戸黄釉狛犬 1対(工芸品)
阿吽一対の古瀬戸の狛犬。陶製。阿形(あぎょう)像の高さは17.6cm、吽形(うんぎょう)像は17.9cm。技法・作風から、鎌倉時代後期または室町時代初期の作と見られている。宝物館内に展示。昭和28年3月31日指定。なお阿形像は昭和51年7月1日発売の250円普通切手の意匠になっている。

双竜鏡 1面(工芸品)
直径20.5cm、縁の高さ5mm(蒲鉾形)、白銅製。平安時代の久安5年(1149年)の銘があり、鏡背文様を有する在銘の和鏡としては最古の例である。鏡背文様の様式は一般的な和鏡とは異なり、中国の宋あるいは朝鮮の高麗鏡に影響を受けたものと見られる。宝物館内に展示。昭和28年11月14日指定。

香取大禰宜家文書 15巻7冊(381通)(古文書)
大禰宜を世襲した香取家に伝わる古文書。平安時代後期から江戸時代までの文書381通からなる[18]。関東の神社文書としては代表的な遺品とされる。個人所有。昭和60年6月6日指定。

登録有形文化財(国登録)

香雲閣(建造物) – 平成12年2月15日登録。

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神話「国譲り」と東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)について
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香取神宮の国宝「海獣葡萄鏡」からはじまる神鏡ギャラリー
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