伊勢の御朱印ゴールデンコース!

伊勢神宮
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御朱印ガールの羨望の的 伊勢神宮の御朱印集め

伊勢神宮は、神社巡り・御朱印集めを楽しんでいる皆様にとっては絶対に行っておきたいスポット。

でも、交通の便が悪いので、どうせ行ったなら、効率的にお参りしたい!御朱印集めしたい!というご要望も多いと思います。

そんな皆様のために、御朱印ゴールデンコースをご紹介したいと思います。

伊勢神宮の御朱印は、全部で7つ 関連寺社で計10個

まず、基礎知識と致しまして、伊勢神宮の125社のうち御朱印は全部で7つあるということを覚えてくださいね。

①外宮と②内宮 の他に、市内に③月夜見宮 ③倭姫宮 ④月讀宮 
そして、やや離れて、⑥伊雑宮 ⑦瀧原宮

そして、めぐるべき関連寺社として以下3つを加えて
二見興玉神社(夫婦石で有名)
猿田彦神社(伊勢神宮鎮座地の決定に関わる)
朝熊岳金剛證寺(伊勢神宮鬼門を守る寺)

計10箇所めぐりをご案内しております。

8つの御朱印を集める二見ヶ浦&伊勢神宮の御朱印ゴールデンコース

まずは、二見ヶ浦と伊勢市内を効率的にめぐるゴールデンコース

ゆっくり回っても、内宮まで4時間程度で計7箇所で8つの御朱印をGETできます。
①二見興玉神社&竜宮社
②外宮(伊勢神宮)
③月夜見宮(伊勢神宮)
④倭姫宮(伊勢神宮)
⑤月読宮(伊勢神宮)
⑥猿田彦神社
⑦内宮(伊勢神宮)

御朱印帳は、事前に通販等で伊勢神宮のものを手に入れるか。 大人気の二見興玉神社の御朱印帳(1200円)をご購入するか。が効率的ですね。

大人気の二見興玉神社の御朱印帳 御朱印帳を手に入れるために立ち寄る方も多いという。
二見興玉resize0022
もちろん他に販売している御朱印帳や他の寺社の御朱印帳でも大丈夫です。

4時間で8つの御朱印 ゴールデンコース
①二見興玉神社&竜宮社 ②外宮(伊勢神宮) ③月夜見宮(伊勢神宮) ④倭姫宮(伊勢神宮) ⑤月読宮(伊勢神宮)⑥猿田彦神社 ⑦内宮(伊勢神宮)
御朱印ゴールデンコース改

二見ヶ浦&伊勢神宮をめぐる御朱印ゴールデンコース詳細

まずは、夫婦石で有名な①二見興玉神社からスタート! 
境内社である竜宮社でも、御朱印がもらえるため、2つの御朱印をGETできます。(滞在30分〜1時間)
①二見興玉神社
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竜宮社(二見興玉神社境内)
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二見興玉神社から9km 20分で、②外宮に

②外宮 (滞在30分〜1時間)
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外宮から800mで月夜見宮に。

③月夜見宮(滞在15分〜30分)
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月夜見宮から3kmで倭姫宮に。

③倭姫宮(滞在15分〜30分)
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倭姫宮から2.3kmで月讀宮に。

④月讀宮(滞在15分〜30分)
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月讀宮から2.4kmで猿田彦神社に。

⑧猿田彦神社 (滞在15分〜30分) 
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猿田彦神社から1kmで内宮へ

②内宮(滞在 おかげ横丁含めて、3〜4時間の滞在は欲しいところ)
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特に、おかげ横丁含め、内宮は内容がもりだくさんなので、初めての方は、最低でも3〜4時間の滞在は欲しいところ。
おかげ横丁
おかげ横丁
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さて、ゴールデンルートを終えて8つの御朱印をGETした後が分かれ道。

できれば、1泊以上して、+αの御朱印をGETしましょう!

御朱印ゲッターとしてストイックに頑張りたい! という方も1日めぐりだとお参りもままならなくなってしまいますので、最低でも1.5日の余裕をもってコンプリートを目指してくださいね。

内宮を拠点とした+α3コース

下記に内宮を拠点とした3コースをご用意致しました。 

⑧伊雑宮コース  内宮から伊雑宮に行って帰ってきます。 片道17km25分(往復50分)の距離にあります。

⑨瀧原宮コース  内宮から瀧原宮に行って帰ってきます。 片道40km34分(往復70分)の距離にあります。

⑩朝熊岳金剛證寺(伊勢神宮の鬼門を守る寺)コース 内宮から朝熊岳金剛證寺に行って帰ってきます。(伊勢志摩スカイライン) 片道9km15分(往復30分)の距離にあります。

伊雑宮コース

⑧伊雑宮コース  内宮から伊雑宮に行って帰ってきます。 片道17km25分(往復50分)の距離にあります。
伊雑宮への道
出典:http://www.navitime.co.jp/

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瀧原宮コース

⑨瀧原宮コース  内宮から瀧原宮に行って帰ってきます。 片道40km34分(往復70分)の距離にあります。
瀧原宮への道
出典:http://www.navitime.co.jp/
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朝熊岳金剛證寺コース

⑩朝熊岳金剛證寺コース 内宮から朝熊岳金剛證寺に行って帰ってきます。(伊勢志摩スカイライン) 片道9km15分(往復30分)の距離にあります。
朝熊岳金剛證寺伊勢神宮の鬼門を守る寺
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秩父地方と秩父三社

寺社・祭りの多い秩父地方

埼玉県秩父地方は、寺社仏閣や祭りの非常に多い(年400を超えると言われる)地域として知られています。

西国三十三所、坂東三十三箇所と併せて日本百観音を形成する秩父札所巡り(秩父三十四箇所)は有名で、全国的にも有名な大祭・奇祭が目白押しです。

特に、秩父神社の秩父夜祭は、日本三大曳山祭・日本三大美祭の1つとされ、2日間で数十万人を集める大規模なものです。

そして、歴史的にも、ヤマトタケル、平将門の伝説が数多く残り、武田信玄には寺社を焼き尽くされる(信玄焼き)等非常に因果の多い地域です。

秩父地方に寺社が多い理由

なぜ、秩父は宗教的・歴史的縁の多い地域になったのでしょうか?

定説はなく、どれも十分に反論の余地がありますが、以下の理由が考えられます。

1.銅等鉱物資源が豊富であったため、古来より権力者との結びつきが強かった。
708年(和銅元年) 和同開珎の鋳造
武蔵国(現在の秩父市黒谷)から和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出した事を記念して、「和銅」に改元するとともに、日本最古の貨幣とされる和同開珎が作られたとされる。

2.名馬の産地であったため、武家政権との結びつきが強かった。

3.荒川の源流に位置するため、水源が豊富であったとともに、情報・物流の要所となった。

4.名山に囲まれた地域であるため、修験道場のステージとして機能した。

5.大和政権の蝦夷攻略の拠点として地政学的な要地に位置した。

秩父三社めぐり概要

当記事は、秩父三十四箇所とともに、秩父の聖地巡りとして知られる秩父三社巡りの概要を説明したいと思います。

秩父三社とは、秩父地区の鎮座する関東地区有数の古社三社(三峯神社・宝登山神社・秩父神社)めぐりです。

秩父三社(宝登山神社〜秩父神社〜三峯神社 片道約50km  往復100km)
秩父三社
出典:http://www.navitime.co.jp/

三峯神社と宝登山神社は、ヤマトタケルの創建で、ニホンオオカミを神格化した大口真神(おおぐちまかみ)を祀っているという共通点があります。
一方、秩父神社は、北極星・北斗七星を神座とする妙見菩薩を祀る妙見信仰の社として有名です。

◆三峯神社

関東有数の古社。標高1102m。雲取山・白岩山・妙法ヶ岳の3つの峰からその名がついたと言われる。

ヤマトタケルが東征の際、イザナギ・イザナミの国造りを偲んで創建。イザナギ・イザナミを主祭神とし、造化三神と天照大神を配祀神とする豪華な祭神の布陣。
神仏習合時代は、修験道場として知られ、役小角がはじめて修業をし、空海が十一面観音像を安置したとされる。
狼信仰・三ツ鳥居・熊野修験との関わり等独特の信仰形態をもつ。
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◆宝登山神社

宝登山山麓に鎮座。(奥社は山頂)
参拝者は、年間100万余を数える。
ヤマトタケルが東征の際、宝登山で山火事に合い、巨犬に助けられたという伝説から、火の神三神を祀り、巨犬を大口真神として祀る。
山名もこの逸話から「火止山」となり、転じてのちに「宝登山」となったという。
火災盗難よけ・諸難よけの守護神としての御神徳が高い。

神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)
大山祗神 (おおやまづみのかみ)
火産霊神 (ほむすびのかみ)

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宝登山神社 (トリップアドバイザー提供)

◆秩父神社

創建1900年を超える関東屈指の古社。
日本神話「岩戸隠れ」と「天孫降臨」で指導的な役割を果たした知恵物であるオモイカネを祭神とするため、学問に御神徳が高い。
その南東に聳える武甲山を遙拝する聖地であり、神仏分離以前は、北極星・北斗七星を神座とする妙見菩薩を祀る妙見信仰の社として栄える。
「秩父夜祭」は、毎年、20万人の人手があり、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大美祭のひとつに数えられる。
国の重要無形民俗文化財に指定。
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日本三大美祭り 秩父夜祭イメージ
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東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)と一緒にめぐりたいスポットまとめ

東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)は、聖地巡礼の定番コースとして知られていますが、どうせ遠くまで行くなら「他の聖地もめぐりたい!」ということで、東国三社と共にめぐりやすいスポットをご紹介させていただきます。
鹿島神宮の鳥居

東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)の周辺巡礼スポット

1.小江戸 佐原

香取神宮から3.5km 徒歩約11分
歴史的な建造物が残る町並みで伊能忠敬の旧宅などがあります。
小江戸 佐原

2.側高神社(そばたかじんじゃ)

香取神宮から5km 徒歩約14分
神武天皇期、香取神宮と同時に創建されたという香取神宮の格式ある摂社。
造化三神であるタカミムスビ・カミムスビを主祭神としています。
側高神社

3.大戸神社

香取神宮から9km 徒歩約22分
公式ホームページ: http://homepage3.nifty.com/ootojinjya/index.html
祭神: 天手力男命(あまのたぢからおのみこと)

香取神宮の摂社。東国三社のあと一つは、息栖神社ではなく、この大戸神社ではないかという説もあります。十二代 景行天皇40年(111年)ヤマトタケル東征の時、蝦夷征討祈願のため勧請。
大戸神社

4.成田山新勝寺

香取神宮から28km 徒歩約30分
公式ホームページ:http://www.naritasan.or.jp/

真言宗智山派の大本山。明治神宮に次ぐ初詣客数(300万人弱)を誇る。本尊は不動明王。
成田山新勝寺

5.大杉神社

鹿島神宮から30km 車で約40分。
公式ホームページ:http://oosugi-jinja.or.jp/

大杉神社総本社。「あんばさま」といわれる。香取海の航路標識であるとともに、村の守護神として信仰されていた巨杉をそのルーツとする。神社は「日本唯一の夢むすび大明神」と称している。天狗信仰。
大杉神社

6.笠間稲荷神社

鹿島神宮から70km 車で約1時間半 ちょっと遠いですね! 
公式ホームページ:http://www.kasama.or.jp/

日本三大稲荷のひとつで、茨城県第一位の参拝数(年間350万人)を誇る。
笠間稲荷神社

息栖神社

息栖神社 水上交通の神を祀る東国三社の一社
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概要

息栖神社(いきすじんじゃ)は、茨城県神栖市息栖にある神社。国史見在社で、旧社格は県社。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮とともに東国三社の一社である。
一の鳥居の両側には「日本三霊泉」の1つとされる「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる2つの井戸がある。
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基本情報

◆所在地 茨城県神栖市息栖2882
◆公式ホームページ http://www.kamisu-kanko.jp/power/
◆社格等
国史見在社
旧県社
◆創建 (伝)第15代応神天皇年間
◆札所等 東国三社

祭神

主祭神
久那戸神 (くなどのかみ、岐神)
社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神という。

相殿神
天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)
『古事記』では、建御雷神の副神として葦原中国平定に赴いたと記される。
住吉三神 (すみよしさんしん)
上筒男神、中筒男神、底筒男神の3柱の総称。

エピソード

創建

社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという。その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える。

社名

元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記されるように、当社は「おきす」と呼ばれていた。
この「おきす = 沖洲」という古称から、香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神であると考えられている。

水上交通の神

上記社名の逸話とともに、祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であることからも水上交通の神であると言われる。

東国三社

当社は古くから香取神宮・鹿島神宮と並んで「東国三社」と称されたといわれる。
江戸時代には、「下三宮参り」と称して関東以北の人々が伊勢神宮参拝後に東国三社を巡拝する慣習があったと言われる。
参拝客が利用する息栖の河岸は利根川水運の拠点として江戸時代から大正時代まで栄えたという。

鹿島神宮との関係

地理的な関係から鹿島神宮の影響が強く、当社は同宮の摂社とみなされていた。
鎌倉時代の『鹿島社例伝記』や室町時代の『鹿島宮年中行事』から、鹿島神宮と当社の密接な関係性が指摘される。
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日本三霊泉「忍潮井(おしおい)」

一の鳥居の両側には「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる2つの井戸があり、「日本三霊泉」の1つという。
社伝では神功皇后3年に造られたとし、日川からの移転に際して後から自力でついてきたという。
井戸はそれぞれ「男瓶」「女瓶」という名の2つの土器から水が湧き出ているが、現在の井戸は昭和48年(1973年)5月に河川改修のため移転している。

忍潮井(男瓶)

忍潮井(男瓶)

忍潮井(女瓶)

忍潮井(女瓶)

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東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)と一緒にめぐりたいスポットまとめ
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神話「国譲り」と東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)について
http://power-spots.news/jinja/togokusansha-shinwa

出雲大社

国譲りの条件として造営された「大国主神」の神殿
出雲大社

概要

「国譲り」の条件として「大国主神」が神々に造営を願い出たとされる日本屈指の大神殿。
創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家の子孫が祭祀を司る。
宗教法人出雲大社教の宗祠。

拝殿
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基本情報

◆所在地 島根県出雲市大社町杵築東195
◆公式ホームページ http://www.izumooyashiro.or.jp/
◆社格等
式内社(名神大)
出雲国一宮
官幣大社
勅祭社
別表神社
◆創建 神代とされる
◆札所等 出雲國神仏霊場1番

祭神

大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)

芦原中国を平定し、天津神(天照大神)に譲った国津神
国津神の祖スサノオの子孫。
因幡の白兎の逸話でも有名。

当社は、国譲りの見返りとして神々によって造営されたとされる。

相殿神
御客座五神
天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神

エピソード

創建

大国主神は、大きな社殿の造築を国譲りの条件とした。その社殿が、出雲大社だとされる。
天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。

日本神話などにその伝承が語られている。

『古事記』
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。

『日本書紀』
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。

『出雲国風土記(出雲郡杵築郷)』
所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。

『出雲国風土記(楯縫郡)』
神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。

出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。

神在月(神無月)

神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり、神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 – 17日)。
そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになった。
※留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではない。

祭神の変化

創建〜平安
大国主大神
出雲国造神賀詞に、「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載がある。

中世〜17世紀
素戔嗚尊(スサノオ)
神仏習合による天台宗の鰐淵寺の影響により、中世出雲神話に基づき、スサノオを祭神とした。

14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記された。
1666年(寛文6年)毛利綱広が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。

銅鳥居銘文
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17世紀〜
大国主大神
仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、記紀に沿って大国主大神に復した。
同時に、出雲国造家により神仏分離・廃仏毀釈が行われた。

本殿

現在の本殿は、1744年(延享元年)に造営で高さは約24mと社殿としては桁違いの大きさ。国宝。
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平安時代には、現状の倍(約48m)で階段の長さも100mあったと伝えられる。(本居宣長『玉勝間』)
事実ならば、東大寺大仏殿や平安京大極殿より大きかったということになる。

さらに、それ以前には、さらにその倍(約96m)あったという伝承もある。

高さ48mの神殿も物語の世界という見方が強かったが、近年、巨大な柱(宇豆柱 1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発見され実話だったという見方が再燃した。

古代の本殿の模型
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国立公文書館所蔵「出雲大社絵図」(明治8年頃作成)
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大注連縄

神楽殿の大注連縄は、長さ13m、周囲9m、重さ5tで日本トップクラスのサイズ
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4つの鳥居

一の鳥居 
当時日本最大
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二の鳥居(勢溜の大鳥居) 
みんなで集まった広場(550坪のイベントスペース)がある。
相撲(雷電為右衛門)や歌舞伎が行われた。
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三の鳥居
三の鳥居

銅鳥居
触ると金運UPするという四の鳥居
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出雲大社教